第19回 7枚の花びら−楢原廃寺〈ならばらはいじ〉ほか−

 今から1,300年前に都がおかれた奈良の平城京、青い屋根瓦と朱塗りの柱で彩られた建物が建ち並ぶ様子は、さながら花の盛りにたとえられました。
 この青い屋根瓦が、我が国に登場したのは6世紀末、蘇我馬子〈そがのうまこ〉が建立した飛鳥寺〈あすかでら〉が最初と言われています。堂塔の軒先〈のきさき〉に連なる瓦には、仏教の精華を表すように、朝鮮半島の百済〈くだら〉から伝えられた清楚なハスの花紋があしらわれていました。
 それから半世紀ほどを経て、中国の唐〈とう〉王朝から新しい紋様が伝えられます。それは8枚の花びらが反り返ったさまを立体的に表現したもので、当時の仏教奨励策とも相まって、またたく間に地方へと広まり、寺院や役所の軒先を飾りました。
 ところがこの地域では、この紋様から花びらの数を7枚に減らしたデザインが考案され、勝央町勝間田遺跡〈かつまたいせき〉・平遺跡〈たいらいせき〉といった役所や、美作市楢原廃寺・津山市久米廃寺〈くめはいじ〉などの寺院に採用されたのです。
 このような独自の紋様が広まった背景には、役人としていち早く仏教文化に触れたこの地の有力者たちが、互いに協力して氏寺〈うじでら〉を建立したことが考えられ、そうした人々の連帯が、713年の美作国設置へと結びついたのかもしれません。
 7枚の花びら、美作国の黎明〈れいめい〉を告げたこの美しい瓦をぜひ一度、お近くの資料館でご覧ください。

 (展示場所:津山市久米歴史民俗資料館、美作市立美作歴史民俗資料館など)
楢原廃寺の軒瓦
楢原廃寺の軒瓦

*『広報しょうおう』2012.11月号掲載記事を一部改変して転載


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