第15回 カマドのある風景−鍵谷遺跡〈かぎたにいせき〉−

  中国道にほど近い黒土の鍵谷遺跡で、7世紀前半につくられた一辺4mほどの四角い竪穴住居が見つかりました。壁際には火を焚〈た〉いたあとが赤く残っていましたが、その周りには粘土が盛り上がり、カマドが築かれていたものと思われます。
 朝鮮半島から我が国へカマドが伝わったのは、これより200年ほどさかのぼる古墳時代の中ごろのことです。熱効率にすぐれたこの調理専用の施設は、100年ほどのあいだに各地へと広まりました。
 しかしカマドには、それまでの囲炉裏〈いろり〉が担っていた、照明や暖房といった機能はありません。このため、山陰のように寒冷な地域ではカマドがなかなか普及しなかったようです。
 カマドの登場はまた、食生活にも大きな変化をもたらしました。土鍋で米を煮こんだ粥〈かゆ〉や姫飯〈ひめいい〉から、カマドで沸かしたお湯で米を蒸す強飯〈こわいい〉へと調理方法が変わったのです。現在では姫飯につながるご飯が一般的ですが、強飯も祝いの食事(おこわ)として残っています。私たちの暮らしからカマドが姿を消して久しくなりますが、今でもカマドで炊いたご飯の味を懐かしむ方は多いことと思います。
 今から1,400年前、夕餉〈ゆうげ〉を炊〈かし〉ぐカマドの前で、食事の仕度をする母親とそれを手伝う子供たち、そんな家族の団らんが、ここで繰り広げられていたのかもしれません。
津寺遺跡のカマド
岡山市津寺遺跡のカマド

*『広報しょうおう』2012.7月号掲載記事を一部改変して転載


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