連載第6回 人と生き物たちの水田           

文/岡山県古代吉備文化財センター 岡本泰典

   



「弥生時代の水田でコウノトリの足跡発見!」

 平成23(2011)年5月、こんなニュースが新聞各紙をにぎわせました。大阪府池島・福万寺〈いけしま・ふくまんじ〉遺跡で、弥生時代前期の水田跡に印された鳥の足跡が見つかり、専門家の鑑定によってコウノトリと判明したとのこと。今は絶滅危惧種となってしまったコウノトリたちも、戦前までは各地の水田でごく普通に見られたといわれ、今回の発見も彼らと人間との長い共存の歴史を裏付けるものといえます。銅鐸〈どうたく〉の表面に描かれた、首の長い水鳥の正体はツルかサギかという議論がありますが、もしかしたらコウノトリもその一員だったのかもしれません。

 人とともにコウノトリも踏みしめた水田。そこを舞台としたイネと人、そして生き物たちとの関わり合いが、今回のテーマです。

コウノトリ
コウノトリ(中央の2羽)とアオサギ、
ダイサギ(兵庫県豊岡市にて)
銅鐸絵画の水鳥
銅鐸絵画の水鳥
(『神戸市桜ヶ丘銅鐸・銅戈調査報告書』
兵庫県教育委員会 1966年
掲載写真から転写)

 いうまでもなく、水田とはイネを栽培する農地のことです。近年、日本列島へのイネの渡来時期は議論の的になっており、縄文時代後期頃には一部地域で栽培が始まっていたという意見も有力です。しかし、整備された水田や水路を伴い、各種農耕具を用いる本格的な稲作が始まり各地に普及したのは、やはり弥生時代とみてよさそうです。

 弥生時代の水田の実例として、岡山市北区の津島〈つしま〉遺跡で発掘された弥生時代前期の水田を見てみましょう。水田が営まれる場所は平坦に見えますが、実際には地面にわずかな傾斜があるので、水を効率良く張るために水田を畦〈あぜ〉で細かく区切っています。したがって、個々の区画は地形の傾斜を反映した細長い形になり、面積も数uから70uまでと不揃いです。ところが、岡山市中区の百間川原尾島〈ひゃっけんがわはらおじま〉遺跡で見つかった弥生時代後期の水田は様子が違います。ここでは、均一な正方形に近い区画が整然と連なり、しかも標高のやや高い場所(微高地〈びこうち〉)を削って水田を拡張していました。この違いの背景には、人口増加に伴うコメ需要の高まりや、大規模な土地造成を可能とする各種鉄器の普及があったと考えられます。稲作や土木工事の技術を手にした人々は、コメの増産を目指して各地の平野を次々に水田へと作り替えていったのです。

津島遺跡
弥生時代前期の水田
(岡山市津島遺跡)
百間川原尾島遺跡
弥生時代後期の水田
(岡山市百間川原尾島遺跡)

 さて、ここで少し視点を変えて、開発される自然の側から水田を眺めてみましょう。平坦な場所に浅い水が毎年溜まり、イネという外来植物が栽培され、耕作や草取りによって常に人手が加わるという特異な湿地が出現し拡大するプロセスは、在来の生態系にどんな変化を及ぼしたのでしょうか。

 昭和44(1969)年、津島遺跡の弥生時代前期の土層から採取された土壌のサンプルが、当時の環境についての貴重な情報をもたらしました。専門家による分析の結果、土の中からは炭化米〈たんかまい〉や籾殻〈もみがら〉などのイネ関係遺物のほか、コナギ・タカサブロウ・ホタルイなどの水田雑草、あるいは水田・畑共通雑草の種子が多数見つかったのです。水田に雑草が生えるのは当然に思えますが、実はこれこそが、水田開発に伴う環境変化の証拠となるものでした。

コナギ
代表的な水田雑草で史前帰化植物、コナギ
ミズワラビ
食用になるシダ植物、ミズワラビ

 私たちが普段見かける水田や雑草には、作物の伝来とともに大陸から、おそらく種子などに紛れて持ち込まれた「史前帰化植物〈しぜんきかしょくぶつ〉」、つまり古い時代の外来種が多く含まれると考えられており、コナギもそのひとつです。水田という湿地環境の出現は、史前帰化植物や、生育場所が限られていた在来植物に新たな生育地を提供し、彼らに繁栄の機会をもたらしました。それは人間にとっては雑草との戦いの始まりでしたが、水田雑草の中にはコナギやミズワラビのように食用になるものもあります。案外、人々は除草に苦労しながらも、除草した雑草をうまく食利用していたのかもしれません。

 浅い水が溜まる水田環境に目を付けたのが、コイ・フナ・ナマズなどの魚たちです。彼らは、平地に開かれた水田や周囲の水路を新たな繁殖・産卵場所に利用することで個体数を増やし、生息地を拡大していきました。最初に触れたコウノトリやサギたちも、彼らを狙って水田に舞い降りたことでしょう。そういえば、銅鐸絵画の水鳥は魚をくわえています。もちろん人々にとっても同様で、水田や水路で容易に捕獲できる淡水魚は重要なタンパク源となったはずです。水田はいわば天然の養魚場でもあったのです。

ギンブナとヤリタナゴ
水田を重要な産卵場所とするギンブナ
(左上はヤリタナゴ)

 イネが豊かな実りを結ぶころ、水田には招かれざる客がやってきます。栄養価の高いイネがまとめて植えてある水田は、スズメなどの小鳥たちにとって絶好の餌場〈えさば〉です。しかし人間にとっては死活問題。津島遺跡や百間川遺跡群の水田では、直径数pの丸い小石や石鏃〈せきぞく〉(石のやじり)がしばしば出土します。これらは、イネに群がる鳥獣を追い払うため、あるいは狩猟のために使われたのではないかという見方があります。もしそうだとすれば、狩猟の場という水田の新たな側面もみえてきます。ここでも、水田が生み出した環境変化と、それを巧みに利用した人々の姿を垣間見ることができます。

水田出土の小石と石鏃
水田面からみつかった小石と石鏃
(岡山市百間川原尾島遺跡)

 以上の事例が示すように、弥生時代以降各地に広がった水田は、多くの生き物に住み家や繁殖の場所を与え、二次的な自然環境の役目を果たすことになりました。一方、人々にとっての水田は、イネの栽培を基軸にしながらも、有用植物の採取、淡水魚の捕獲、鳥獣の狩猟など各種の活動の舞台でもあったのです。近年、こうした水田環境は徐々に失われ、水田に適応した生き物たちも減少しつつありますが、一方で水田を含む「里山」、つまり人里に接し、人間活動の影響を受けた二次的自然の価値が見直されています。人の干渉によって生まれ、維持されてきた田畑・草原・雑木林などの多様な里山の環境は、結果的に稀少種を含む多数の動植物を養い、日本列島の生物多様性の維持に貢献してきました。そう考えると、水田や里山を「自然と歴史の複合遺産」と捉え、一部でも保存して、かつての農村景観や生物相を後世に伝えていくことも必要ではないでしょうか。遺跡や歴史的建造物の保存が必要なのと同じように。

 弥生水田のコウノトリの足跡から出発して、水田が生み出した生態系と、それに対応した人々の営みを紹介してきました。これから水田遺構に向き合う時には、「水田は稲作だけの場ではない」という視点を持って、当時の環境や生業の復元に臨む必要がありそうです。皆さんも、今度水田のそばを通りかかったら、「自然としての水田」を意識して、ぜひ生き物たちにも目を向けてみてください。もしかしたら、野生復帰したコウノトリが餌をついばんでいるかもしれません。
 

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