連載第4回 焼け落ちた住居からわかること           

文/岡山県古代吉備文化財センター 澤山孝之

   



「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」

 この一文は徳川家康〈とくがわいえやす〉の家臣であった本多重次〈ほんだしげつぐ〉が長篠の戦いの陣中から妻に送った手紙とされ、その簡潔で要領を得た文章は日本一短い手紙として有名です。この「火の用心」という言葉は現在も夜回りのかけ声や防災活動の標語としても使われていますが、一説にはこの手紙が「火の用心」の初出であると言われています。今から400年以上も昔の武将も、我が家の火の始末を常に気遣っている様子がうかがえます。

 一方、現在の住宅火災の状況をみてみると、平成15年以降、全国で毎年1,000人以上の方々が犠牲となっており、そのうちの5割近くが「逃げ遅れ」によるものです。こうした状況もあって平成16年の消防法の改正により、一般住宅の寝室などに住宅用火災警報器の設置が義務付けられました。住宅火災を減らして安全で安心な暮らしを願う想いは、今も昔も変わらないことでしょう。

 さて、集落跡の発掘調査を行っていると、壁面が焼けて、床面近くで火を受け炭になった木材や焼土などがまとまってみつかる竪穴住居があります。こうした特徴をもった住居は「焼失住居〈しょうしつじゅうきょ〉」などと呼ばれており、失火・放火による火災や、住居内から生活道具の土器や石器があまり出土しないことから転居・移住などのために意図的に焼き払った跡などと考えられています。岡山県内ではこれまでに弥生時代から古墳時代までの遺跡のうち、約70遺跡で130軒程度の焼失住居が確認されています。

小池谷遺跡
小池谷遺跡(勝央町)
辺谷・成ル遺跡
辺谷・成ル遺跡(赤磐市)
焼失住居の発掘調査の様子

  
 改めて焼失住居をみると、炭化材が床面の中心から外に向かって放射状に並んで検出されるものがあります。これらの木材は屋根を支えるための垂木〈たるき〉と考えられ、住居の最も高い位置に組まれた棟木〈むなぎ〉から桁〈けた〉に渡し、垂木尻は地面近くまで降ろしていたと思われます。屋根の形は住居の平面形や主柱の本数・位置との関係が深いと思われますが、現代の寄棟造〈よせむねづくり〉や換気・採光のための開口部を備えた入母屋造〈いりもやづくり〉のような構造が主流であったと思われます。 

 また、焼失住居のなかには、焼土が茅〈かや〉や草などとともに炭化材の上に貼り付いた状態でみつかるものもあります。このことは榛名山〈はるなさん〉の噴火による軽石や火山灰で埋没した群馬県渋川市黒井峯〈くろいみね〉遺跡・中筋〈なかすじ〉遺跡などの古墳時代の竪穴住居の調査成果によって明らかとなった、垂木材あるいは茅葺き・草葺きなどの上に土をのせる、いわゆる「土葺き屋根」と似た構造をもつ竪穴住居が岡山県内にも存在していた可能性を示しています。

 この土葺き屋根については、乾燥が進んでできた亀裂から雨漏りが起きないように、土はたたき締めずに軽くのせる程度にとどめる一方、雑草を自然に根付かせて土が流れないようにしていたとの見方があります。また、こうした雑草によって緑化された土屋根をもつ竪穴住居は夏場に涼しく、冬場に暖かく、屋内で火を焚けば湿度も日常は適度に保たれていたとされます。もしそうであるならば、この土葺き屋根をもった竪穴住居は、今日にも通じる「エコハウス」だったのかもしれません。

南溝手遺跡
南溝手遺跡:住居5(総社市)
高下遺跡
高下遺跡:住居3(岡山市)
南溝手遺跡 住居での焼土検出状況
南溝手遺跡:住居19−焼土検出状況
たたら場
住居19−焼土除去・炭化材検出状況
焼失住居内の焼土と炭化材の様子

   
 ところで、焼失住居の炭化材に対して自然科学的な分析を行うことにより、その樹種や伐採された年代が推測できます。樹種がわかると当時の遺跡周辺の植生や木材利用の技術を、また伐採された年代がわかるとその竪穴住居がつくられた年代を、それぞれ推定することができます。

  例えば、岡山市百間川原尾島〈ひゃっけんがわはらおじま〉遺跡の竪穴住居19(古墳時代後期)の炭化材の樹種を調べると、柱材はクヌギ節・コナラ節・アカガシ亜属・クリなどの重硬で強度が高い木材を利用し、屋根材や壁材は茅に由来するイネ科の植物の使用が推定できました。また、美作市穴が逧〈あながさこ〉遺跡の竪穴住居5の炭化材に放射性炭素年代測定分析〈ほうしゃせいたんそねんだいそくていぶんせき〉(試料中の炭素の放射性同位体(14C)の量を調べて年代を測定する分析)を行った結果、柱材の樹木が伐採された年代は西暦2から71年頃と推定できました。これは住居の出土土器から建築時期を弥生時代後期中葉と想定した年代観ともほぼ一致しています。

 発掘調査では焼け落ちた家で生活していた人達の想いまでは計り知れませんが、焼失住居を詳しく調べることによって、当時の住まいの様子がこのように明らかにされてきています。

百間川原尾島遺跡群
百間川原尾島遺跡(岡山市):住居19
穴が逧遺跡
穴が逧遺跡(美作市):住居5
自然科学的な分析を行った焼失住居

  

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