連載第3回 鉄穴流しによる地形改変           

文/岡山県古代吉備文化財センター 上栫 武

   



 岡山藩の初代藩主池田光政〈いけだみつまさ〉と2代藩主綱政〈つなまさ〉に仕えて様々な業績を残した津田永忠〈つだながただ〉。後楽園の造園や閑谷学校の建設は彼の有名な業績で、さらに岡山藩学校の建設、倉田・幸島・沖新田の干拓など藩内の教育普及や生活向上のため力を尽くしました。そんな彼の業績の1つに百間川の整備があります。

 百間川整備は旭川の洪水対策でした。当時、旭川はよく洪水を起こしていたそうですが、その原因は宇喜多秀家〈うきたひでいえ〉が岡山城を現在地に築く時に川を要害に利用しようと付け替えたためとされます。しかし原因はそれだけではないようです。  

 宝永2(1705)年に津田永忠が小仕置格〈こしおきかく〉の上坂蔵人〈うえさかくらんど〉と服部図書〈はっとりずしょ〉にあてた「口上」によると、県北作州(美作)のたたら吹製鉄のため旭川の川床が土砂で埋まって高くなり、城下における洪水の危険性が高くなったと述べられています。その対策が百間川整備であったと「口上」では続くのです。しかし、なぜ美作での製鉄業が旭川を埋める地形改変につながったのでしょうか。

岡山平野
岡山平野(北上空から)


 江戸時代から大正時代には、島根県を中心とする中国山地でたたら吹製鉄が盛んに行われました。岡山県も例外ではなく、新見市大成山〈おおなるやま〉たたら遺跡群や新庄村奥土用〈おくどよう〉製鉄遺跡・神庭谷〈かんばだに〉製鉄遺跡などでは江戸・明治時代のたたら遺跡の発掘調査が行われています。

大成山たたら遺跡群
大成山たたら遺跡群
たたら場
大成山たたら遺跡群−たたら場

 たたら吹製鉄では1回の操業で10トン近い砂鉄を使用します。砂鉄は採取場所から山砂鉄・川砂鉄・浜砂鉄と呼びわけられ、主に山砂鉄がたたら吹製鉄の原料となりました。山砂鉄を効率よく採掘する方法が、この文章のタイトルにある鉄穴流し〈かんなながし〉です。

 鉄穴流しは、砂鉄を多く含む山を崩して土砂を水路に落とし、それを流下させることで比重の軽い土砂と重い砂鉄を分離する方法です。砂鉄を多く含むとはいってもその比率はせいぜい3%。このわずかな砂鉄を求めて、山の奥まで水路をひき、さらに上流に溜池を造成することもありました。水路は鉄穴流しの採掘場からたたら場まで造り、その長さは500mから数qにもなったそうです。この間、4、5か所に精洗場〈せいせんば〉を、たたら場近くには砂鉄洗い場を設け、そこで砂鉄混じりの土砂を撹拌〈かくはん〉して、軽い土砂を分離させて砂鉄の比率を80パーセント程度まで高めたのです。

斜面を崩しているところ
砂鉄を含む斜面を崩す
選鉱
砂鉄を選鉱している様子

*鉄穴流しの操業写真はいずれも
安来製作所鳥上木炭銑工場提供

六の原製鉄遺跡
広島県六の原製鉄遺跡−精洗場
たたら場
大成山たたら遺跡群−砂鉄洗い場

  山砂鉄を効率よく採掘できる鉄穴流しですが、いくつかの欠点がありました。1つは回収した砂鉄の何十倍もの土砂を下流に流してしまうこと。流した土砂により沖積平野が拡大して耕作地は増加したものの、河川は埋没して川床が徐々に高くなり天井川になることにありました。冒頭で紹介した津田永忠の「口上」はこのことを指しているのです。

  高梁川も明治30(1897)年に提出された「高梁川治水ニ関スル建議」によると「川底ハ遙ニ河畔人家ノ屋上ニ位」という状況だったそうです。高梁川上流域でも鉄穴流しは盛んで、このことが天井川地形の形成に影響したことは想像に難くありません。ちなみに高梁川は3年に1度は洪水を引き起こしたと言われるような暴れ川だったとか。このような状況は鉄穴流しをしている河川で共通しています。この状況を打開するべく、島根県の斐伊川〈ひいかわ〉では人為的に河道を付け替える「川違〈かわたがえ〉」で対応することもあったと言います。

 昭和46(1971)年制定の「水質汚濁防止法」で、鉄穴流しによる砂鉄採掘は禁止されました。鉄穴流しによって濁水とともに下流域に流出した土砂は鉄気〈かなけ〉を含んでおり、作物の生育や人・家畜の飲み水さらに製紙や酒造・紺屋など川水を使用する製造業にも影響を及ぼしたことが法令制定の主な理由です。

  この濁水問題も鉄穴流しがかかえた欠点の1つで、江戸時代にはしばしば訴訟問題にまで発展していました。訴訟により鉄穴流しは農閑期〈のうかんき〉の秋彼岸から春彼岸の間に行うことや鉄穴場を増設しないことなど沙汰されていきました。ただ、取り決めの違反が相次いだことから、訴訟により解決が得られたわけではなさそうです。それが現代社会では法律により厳粛に禁じられ、鉄穴流しによる砂鉄採掘は終焉を迎えたのです。

 法律により鉄穴流しという砂鉄採掘方法は禁止され、それに起因する地形改変は起こらなくなりましたが、その痕跡は様々なところに残されています。鉄穴流しにより沖積平野は拡大し、河川は天井川化しました。また中国山地に散在する不自然な独立丘や崖面は、鉄穴流しによって削られた跡地です。このような不自然な地形は災害を誘発する要素と言えます。平成23年3月11日の東日本大震災発生により、各地で防災・減災の意識が高まりつつあります。過去の災害について埋蔵文化財や歴史史料・伝承などの検証も活発に行われていますが、当たり前としている日常風景の中にも防災や減災に繋がるヒントが隠されているのかも知れません。

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