連載第15回 馬とまつり           

文/岡山県古代吉備文化財センター 渡邉 恵里子

   



 人類は自然から様々な恩恵を受け、自然と共に歩んできました。しかし、時に自然は脅威となり、我々の生命を脅かします。まだ科学の存在していなかった原始古代社会では自然現象を神の意志と考え、そこから引き起こされる災害を、神への祈りを通じてコントロールしようとしていました。古来、「政<まつりごと>」は「祭り事」であり、統治者にとって、神に祈りを捧げる「祭祀」は欠かすことのできない職務の一つであったのです。
 考古学から祭祀の内容を探ることは非常に困難ですが、奈良~平安時代の役所もしくは役所に準じた公的な場と推定される遺跡から「陶馬<とうば>」あるいは「土馬<どば>」と呼ばれる土製の焼き物(焼き方で呼称が変わります)が出土し、祭祀に関わるものとして注目されています。古代の人々は陶馬にどのような願いを込めていたのでしょうか。

 馬が関わる祭祀を文献上で見ると、旱<ひでり>の時に牛馬を殺して諸社の神を祀った(『日本書紀<にほんしょき>』)とか、主に祈雨などの祭事に際して天皇が神に馬を献上した(『続日本紀<しょくにほんぎ>』)などと記されています。さらに、水を司る神「高龗神<たかおかみのかみ>」を祀る京都市貴船<きふね>神社には、朝廷からしばしば勅使が派遣され、旱には黒馬を、長雨には白馬を奉納した(黒は黒雲を、白は白雲や晴天を象徴する)と伝えられています。いずれも天候の回復を祈って神に馬を捧げていたことを物語っており、後世、生きた馬は馬の形代<かたしろ>に変わり、現在の「絵馬<えま>」に繋がると考えられています。

 奈良大学名誉教授 水野正好氏は、これら文献記録に加え、考古学的な知見(馬形埴輪の観察や陶馬・土馬がどこか欠けた状態で出土する状況)から、馬は神の乗り物であり、この世に自然災害や疫病をもたらす荒神や行疫神の行動を封じるために陶馬を壊す祭祀を行ったのではと考えました。(「馬・馬・馬-その語りの考古学」『文化財学報 第二集』奈良大学文学部文化財学科 昭53.3)

 さて、県下における陶馬の出土例は岡山市北区津寺<つでら>遺跡、総社市南溝手<みなみみぞて>遺跡、鏡野町(旧奥津町)久田原<くたばら>遺跡など10例ほど挙げられます。久田原遺跡では、遺跡内を蛇行する川の跡から、前脚・頭・尾・胴とバラバラになった陶馬が出土しました。周辺には酒甕らしき大甕の破片が散乱しており、水難防止を祈願して、たたり神をなだめるためのまつりが行われた後、一緒に壊して棄てたのではないかと見られています。また、南溝手遺跡では、集落の外れを流れる川の跡から、脚が全て折り取られた陶馬が出土しました。南溝手遺跡の所在する一帯は古代吉備の有力豪族賀陽<かや>氏の拠点で、陶馬と共に賀陽氏の氏寺である栢寺廃寺<かやでらはいじ>と同じ瓦が出土したことから、賀陽氏が関与した公的なまつりが行われたと考えられています。

総社市南溝手遺跡出土の陶馬の写真 鏡野町久田原遺跡出土の陶馬の写真
総社市南溝手遺跡出土の陶馬
鏡野町久田原遺跡出土の陶馬

 2012年10月、水の神を祀る奈良県丹生川上<にうかわかみ>神社で、東日本大震災と台風12号豪雨被災地の復興を祈願して約560年ぶりに白馬を献上する神事が復活しました。平和を願う人々の気持ちは今も昔も変わりはありません。人々の祈りが神に届くことを願ってやみません。

▲このページのトップへ