連載第8回  乗馬の風習

                  

文/岡山県古代吉備文化財センター 尾上 元規

   



乗馬のはじまり

     乗馬といえば、現在では競馬や趣味としての乗馬を思い浮かべますが、一
    昔前まではたいへん重要な交通の手段であり、また農耕にも多く使われてい
    ました。
      もう少し時代をさかのぼると、戦国時代の合戦シーンに必ず馬が登場するよ
    うに、戦いの中でも重要な役割を果たしていました。

     さて、日本列島に馬が登場するのは、古墳時代の中ごろ、西暦5世紀のは
    じめ頃といわれています。縄文時代や弥生時代の遺跡から馬の骨が出土した
    という話もあり、もっと古くから日本列島に馬がいた可能性はありますが、今の
    ところ確実ではありません。有名な中国の書物『魏志倭人伝』も、弥生時代の
    日本について「馬なし」と記述しています。

     4世紀の終わり頃、朝鮮半島北部の高句麗好太王(こうくりこうたいおう)の
    碑文が伝えるように、倭(わ)(近畿地方を中心とする勢力)が高句麗と戦いを
    交えたようですが、その中で、高句麗の騎馬戦力の強さに触れ、戦いに馬を
    使う必要を感じるようになったのでしょう。

      これが、倭の人が乗馬を始めるようになったきっかけの一つと思われます。
    したがって、日本列島における馬の使用と乗馬は、戦いの手段、軍備の一部
    として始まったようです。



高句麗古墳壁画に描かれた騎兵
高句麗古墳壁画に描かれた騎兵(末永雅雄・伊東信雄『挂甲(けいこう)の系譜』1979雄山閣より引用)




乗馬のひろがり

     古墳時代の馬の使用と乗馬の様子をうかがい知ることは容易ではありませ
    んが、古墳におさめられた馬具は、その一端を伝えるものとして重要な手が
    かりになります。

     最も古い5世紀はじめ頃の馬具は、近畿地方を中心に出土しており、岡山
    県下では今のところその時期の馬具は知られていません。
      県下ではやや遅れて5世紀の中ごろから馬具が見られるようになります。ま
    たこの頃から馬をかたどった埴輪が古墳に置かれるようになりますが、埴輪
    の馬にも馬具が付けられています。

     しかしながら、馬具は5世紀代にはまだ少なく、6−7世紀になると増加してい
    きます。岡山県下では、現在のところ130基ほどの古墳から馬具が出土してい
    ますが、そのうち5世紀代のものは約20基で、6世紀代になると約70基になり
    ます。

      日本列島に乗馬の風習が伝わってからおよそ1世紀を経たころから、急速
    に乗馬が広まっていったようです。騎馬戦力をもつ軍備がしだいに整えられて
    いったのでしょう。



飾り馬と実用馬

     古墳時代の馬具には、大きく分けて2種類があります。一つは金・銀で飾ら
    れた「装飾馬具」と呼ばれるもので、「鏡板(かがみいた)」や「杏葉(ぎょうよ
    う)」と呼ばれる飾り板をもち、前方後円墳など位の高さを示す古墳から多く出
    土します。

      飾り立てられた馬にまたがる首長の姿が想像されます。上でみたように当
    時の馬は戦いと深い関わりをもっていましたから、このような飾り立てた馬に
    乗ることで、首長の力、強さを表現したのでしょう。

     もう一つはおもに鉄や木でつくられた質素な馬具で、飾り板なども付いてい
    ません。実用的な馬具で、小さな古墳からも出土します。実際に戦いに用いら
    れた馬具でしょう。



装飾馬具
装飾馬具(弥上古墳の轡(くつわ)・杏葉(ぎょうよう)など)



実用的馬具
実用的馬具(西山6号墳の轡)



実用的馬具
実用的馬具(奥田古墳の鐙(あぶみ))




     岡山県下で出土した馬具をこの2種類に分けてみると、装飾馬具が全体の
    約20%で、残り約80%は実用的馬具が占めています。

     これ以外に、馬具が出土しない古墳も多く、戦いの際には歩兵として参戦し
    たのでしょうか。また、古墳には葬られなかった人々も大勢いたでしょうから、
    馬に乗ることができたのはごく一部の人たちで、飾り馬にまたがったのはさら
    に限られた特定の人だったでしょう。

     それでは、飾り馬にまたがった特定の人というのは、現在の岡山県内では
    どのあたりに住んでいたのでしょうか。装飾馬具を出土した古墳の分布を見
    ると、現在の総社市周辺と赤磐市周辺、そして津山市周辺に集中しているこ
    とがわかります。

      この3つの地域は、古代の行政区画である「国」でいえば、それぞれ「備中
    国」「備前国」「美作国」の中心的な場所になっており、国府や国分寺がおか
    れた場所です。
      古墳時代においても、総社市周辺には造山古墳や作山古墳、赤磐市には
    両宮山古墳など巨大な古墳があり、吉備を代表する大首長がいたに違いあ
    りません。そのような大首長あるいはその配下のものが飾り馬にまたがって
    戦いの指揮にあたったのでしょう。


地図
岡山県下の装飾馬具の分布(6・7世紀)




      こうして戦いの中から乗馬の風習が始まり、日本でも乗馬が次第に一般化
    していったようです。その後は、戦いのほかに交通、運搬、農耕などさまざま
    な目的で馬が使われるようになりました。




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