連載第12回 平安時代の堤防調査日誌

                  

文/岡山県古代吉備文化財センター 物部 茂樹

   



     平成9年、岡山市百間川米田遺跡の発掘現場では、全長約40mにおよぶ
    中世末頃の橋の跡が発見されました。この橋は、川底を石や木材、土を使っ
    て固める工事を施している点で注目され、7月19日に現地説明会を開催しま
    した。

     そのわずか4日後、7月23日、梅雨が明け、夏の日差しが照りつけるこの日
    の調査日誌。「河道トレンチBの西端で、杭・小枝・むしろがセットで出土。橋
    以前の護岸(ごがん)か堤防(ていぼう)の可能性がある。」

     最初、私はこの杭と小枝とむしろ状のものが一体なんなのか解りませんでし
    た。「堤防は盛土しているだけではないの?」。しかし、現場主任者である上
    司は、かつてこれとよく似たものを見たことがありました。

      昭和63年から平成元年にかけて調査された岡山市津寺遺跡の大規模護岸
    施設です。これは、古墳時代終わり頃から奈良時代に旧足守川の左岸に構
    築されたもので、長さ80m以上にわたって、おびただしい数の縦杭(6,000本以
    上)が打ち込まれ、その間には横木が渡され、そして、盛土の間に杉の樹皮や
    葦(あし)などが敷かれていました。

      私は実際には見ていないのですが、写真で見ても息をのむ光景です。この
    護岸施設築造にかかる延べ人数は約2,000人と試算されています。



岡山市津寺遺跡の護岸施設
岡山市津寺遺跡の護岸施設



岡山市百間川米田遺跡の堤防内部構造
岡山市百間川米田遺跡の堤防内部構造




     百間川米田遺跡の堤防の内部に津寺遺跡のような杭や横木で構成された
    構造物がある、大変な調査になりそうだ、と予想しつつ、いよいよ堤防の調査
    に入りました。

      堤防の内部、その中心には、やはり数多くの縦杭が打ち込まれていました。
    縦杭は直径8cm前後で、半数以上が水に強いマツを使用し、7−8列の列を
    なしています。その縦杭の間を縫うように直径3cm前後のヤブツバキなどの横
    木を敷き詰めています。

      よく観察すると、縦杭列の両端の列と中心付近の列には、横木を8本ほど束
    にして、S字状に巻き付け、柵(しがらみ)を作っています。横木の束を握って
    グイグイ縦杭に絡めていく当時の人の太い腕が、ふっと脳裏をよぎりました。

     次に、盛土の調査です。盛土の中には何枚もの草木類が埋められています。
    調査当時は、「むしろ」と呼んでいましたが、実際は「むしろ」ではありません。
    厳密には「イネとイネ科植物および小枝などの草木類を敷き並べたもの」です。

     11月18日「3枚目むしろ出し」。11月19日「3枚目むしろ写真」。11月20日「3
    枚目むしろ実測」。−年を越えて−1月20日「11枚目掘り下げ」。1月21日「12
    枚目写真・実測」。2月2日「風邪のため3時から年休」。・・・

     厚さ40cmの盛土の中に実に12枚の草木類の層が確認されました。平安時
    代の後半期から約1,000年ぶりに姿を現したこれらの草木類は、土中の水分
    のおかげで原形をとどめていましたが、当時の強度はすでになく、指でこする
    とすぐ土になってしまいます。

      これらを露出する作業は、ミリ単位の仕事でしたが、ベテランの作業員さん
    たちの手により、細かくかつ迅速に行われました。その結果、12枚の草木類
    は、それぞれ縦方向、横方向、斜め方向と向きを違え、また、斜格子状に編
    んだり、撚り紐(よりひも)ですだれ状に編んだりしているものもありました。

      なんと丁寧な手抜きのない工事でしょう。厳しい現場監督がそばに立って
    いたのでしょうか。「じゃあ、なぜ盛土の中に草木類を何枚も埋め込むの?」。
    おそらく、このような構造にすることによって、堤防の盛土が一体化し、強い
    流水に当たっても崩れにくくなると思われます。また、堤防内部に浸透した雨
    水が、草木類によって排水され、地滑りをしにくくなるとの指摘もあります。



岡山市百間川米田遺跡堤防
盛土内の草木類(1/60)
盛土内草木類3−4枚目
3−4枚目
盛土内草木類5枚目
5枚目
盛土内草木類6−7枚目
6−7枚目
盛土内草木類8−10枚目
8−10枚目
盛土内草木類11枚目
11枚目
盛土内草木類12枚目
12枚目




     2月13日「堤防トレンチ掘り下げ。長い縦杭は地表下2.5m。」堤防調査の最
    後に、縦杭の打ち込まれた深さを調べるため、杭の先端を探して周囲を掘り
    下げていきました。

      40−50cm程度打ち込んでいるものと思っていましたが、深さ2m掘ってもまだ
    先端が出てこず、掘っていた作業員さんの姿はすっかり地面の下に見えなくな
    ってしまいました。

      結局、縦杭の打ち込まれた深さは長いもので2.5m、平均1.7mありました。
    腐ってしまった杭頭の長さを加えると、縦杭の長さは約3mと推定されます。
    「どうやって打ち込んだの?」、「高い足場を作ったの?」。驚かされることばか
    りです。

     こうして、堤防の調査は終わりました。堤防の規模は敷き幅約6m、高さ約
    1.2mと推定されます。津寺遺跡の護岸施設に比べると、小規模ではあります
    が、内部には、この堤防構築に携わった人々の知恵と工夫がぎっしり詰まっ
    ていました。

      ある時、作業員さんが言いました。「この堤防の土は乾くと白い小さな粒が
    見えるけど、塩じゃない?」「塩を土に混ぜて敲(たた)くと堅くなる?そんなこ
    とをしてるかもしれないな」。土をなめてみました。しょっぱいような、ないよう
    な。



岡山市百間川米田遺跡の堤防
岡山市百間川米田遺跡の堤防





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