連載第1回   序  現代社会と考古学

                    

文/岡山県古代吉備文化財センター 岡田 博






     今からちょうど4年前の2000年は、日本列島を驚かせた『捏造』事件が発覚
    した年です。日本の考古学にとって、おそらく永遠に忘れ去ることができない
    事件となるでしょう。

     筆者は、足守川の東で、新邸遺跡、川入遺跡の発掘調査に携わっていまし
    た。現場の同僚とともに11月5日のマスコミ報道に接し、一同愕然としました。
     よもや、あのような行為が長い年月にわたって行われていようとは、誰しも
    思ってもみなかった事件でした。

      直接的に被害者が生じる凶悪な暴力的な犯罪ではないかもしれないが、こ
    の衝撃的な事件によって、考古学に疑いの眼差しを向けられ、考古学研究
    者は信用を失ってしまう危機が訪れたので す。



弥生前期の深い川を掘る!
弥生前期の深い川を掘る!
(岡山市百間川原尾島遺跡:1980年)




     一方で、埋蔵文化財を活用した「村おこし」や「町おこし」の気運が、雲散霧
    消したのも事実です。今なお、発掘現場で珍しい貴重な発見があっても、な
    かば冗談半分に、「これは『捏造』じゃないでしょうね?」と誰彼となく尋ねられ
    る事態を招いています。

     筆者の手元に、1996年2月1日の朝日新聞の記事があります。ある私立大
    学助教授は、上高森遺跡発見の前期旧石器について、《”原人”段階で計画
    的生活》と題されるコラムで、『中略〜少なくとも今回の成果が近年、考古学
    で盛んになりつつある人の心まで考察する新たな研究分野にとって、魅力的
    な発見であることは間違いない。〜以下略』と高く評価しているのです。

     思い起こせば、20世紀の終わり、日本の古代史を塗り替える大発見が続き
    ました。1984・85年、古代出雲文化の隆盛を物語る荒神谷遺跡での多量の
    青銅器の発見、北国青森県では、1992年から始まった三内丸山遺跡の発掘
    により、縄文時代の大集落が高度な建築技術や豊富な作物の栽培に支えら
    れ、資源を保護・活用しながら自然と共生していた北方縄文文化の豊かさが
    確かめられ、大きな関心を集めました。

      九州佐賀県では、1986年から発掘調査が続けられている吉野ヶ里遺跡で
    大規模な環濠を巡らした巨大な集落が発見され、巨大な楼閣風の建物の存
    在など、明らかに外部からの武力攻撃を意識した防御的な遺構や遺物が発
    見されています。
      魏志倭人伝に記された事柄と深く結びつく発見は、邪馬台国に象徴される、
    当時のクニの様子を知る重要な手がかりと考えられています。

      とりわけここ数年の発掘報道で、筆者が思わず息をのんだのは、10代の子
    供たちを含む約5,000点、109体分もの弥生人骨が発見された鳥取県 青谷上
    寺地(あおやかみじち)遺跡のニュースでした。中には脳がそのまま頭骨の中
    に残っている人骨もあり、注目されています。

      古墳時代の石棺に丁重に埋葬された人骨や、荼毘に付され、骨壺に納めら
    れた骨片など筆者も少なからず発掘し、直接触れてきたものもあります。 しか
    し、このような発掘現場を未だかつて目の当たりにしたことはありません。

      専門家の精査により、溝の中から発見された多くの人骨には殺傷痕がみら
    れ、中には銅製のやじりが突き刺さった遺体もあること、子供たちには頭部の
    損傷は少ないこと、殺された人たちの多くは、右手に持った武器によって左半
    身を傷つけられていることなどが明らかとなりました。

      いずれも、発掘調査によって得られた資料によって、初めて知ることができ
    た事実です。溝の中に横たわる数多くの人骨群、この凄惨な光景は、まさしく
    弥生時代の戦争を物語っています。遺体の多くは、ほかのムラから攻撃され
    た際の犠牲者なのでしょうか。



鍛冶道具が副葬された、鎌倉時代のお墓
鍛冶道具が副葬された、鎌倉時代のお墓
(岡山市津寺遺跡:1988年)




     一方、現代社会では、国家と国家の戦争ではなく、部族や民族あるいは宗
    教が絡んだ紛争が絶えません。
      ルワンダの部族間対立による虐殺、旧カンボジアのポル・ポト政権による自
    国民に対する虐殺、旧ユーゴスラヴィアにおける宗教も絡む民族間紛争、ア
    フガニスタンの内乱、今夏のCIS(ロシア連邦)を構成する北オセチア共和国
    における学校を舞台にしたテロ、自衛隊の派兵で論議を呼んだイラク戦争後
    の争乱、ごく最近ではスーダンのアフリカ系住民に対する虐殺・・・、なぜこの
    ような殺戮が行われたのか?なぜ人々は殺し合い、戦うのか?

     すでに、考古学と深い関係をもつ文化人類学では、「人間はなぜ戦うのか
    ?」というテーマに取り組み、考古学者も加わった総合的研究が進められて
    います。(「人類にとって戦いとは」全3巻 国立歴史民俗博物館監修 東洋
    書林1999年)

     今年6月のある生命科学者のコラム(柳澤桂子「宇宙の底で」〜朝日新聞
    6月22日付)は、筆者にとってさらに衝撃的でした。 《残虐性は人間の本能か》
    と題された記事で、もっとも平和的な霊長類と思われたヒトの祖先の仲間、チ
    ンパンジーにみられる残虐性や、人類学者によるかれらの殺戮記録の紹介
    があったのです。

      人間はもともと残酷性を受け継いでいるのか?もし、そうだとしたら『〜中略
    〜この事実を率直に受け入れて、理性でこの未開な感情をコントロールする
    ことを考えなければならないのではなかろうか。』と結んでいる。

     このような戦争や幾多の災害に直面し、過去の人々がどのように行動し、
    また克服してきたのか?「戦い」の痕跡や、犠牲者のお墓、豊作を祈る祭り
    や信仰、それらを物語る手がかりは、地中に残された遺構や遺物を得るた
    めの考古学的な発掘調査によって具体的に詳しく知ることができます。


     岡山県古代吉備文化財センターでは、県内各地で発掘調査を過去20年
    の間、たゆまなく続けてきました。

      その間、百間川遺跡群では弥生時代の水田跡が発見され、当時の大規
    模な稲作の実態が明らかとなりました。多くの発掘調査は、大規模な開発
    に起因し、さまざまな制約のもとで行われましたが、貴重な出土遺物や多様
    な遺構の発見は、県内のみならず全国的にも高く評価されています。

     日々の発掘調査では、小さな炭化米粒や石のやじりも見逃さない集中力
    が求められています。また、土器の出土状態やさまざまな遺構の写真撮影
    など、図面や記録写真を後世に残すための重要な職務は、担当調査員の
    高度な技術や経験、そして人格に支えられています。そして、日々の発見
    もまた、多くの作業員の皆さんをはじめ、地域の人々のご理解やご協力に
    支えられていることも事実です。

      考古学的な発掘調査によって人間活動の痕跡を観察したり、多くの出土
    遺物を綿密に分析することによって、現代に生きる私たちの未来の一部を
    知る、ささやかな手がかりが得られるのではないでしょうか。

     次号から、日々発掘調査に取り組む調査員の「現場からの最新情報」を
    お伝えしていく予定です。どうかご期待下さい。



建設工事と平行して進められる調査
建設工事と平行して進められる調査
(山陽自動車道・津寺遺跡:1989年)








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