センタートップ > 鬼ノ城トップ > 調査員便り平成22年10月号 

 このコーナーは、現場の調査員(平成22年度はK・O・Uの3人組!)からのホットな情報をお届けします。
 この便りから現場の様子、発掘の状況、作業員さんとのふれあい、季節の移り変わりなどを感じてみてくださいね。

<平成22年10月号>

 2010年10月27日(水曜日)

土のうの山、山、山・・・

みごとに積まれた土嚢

 北門近くの調査現場では、ひたすら土の掘り下げ作業が続いています。鬼ノ城では例年、掘った土を土のうに詰めて保管するので、調査が進むと現場の周辺は土のうの山だらけになります。この土のうも、むやみに積み上げただけでは山の形が先細りになってしまい、たくさん積むことができません。きちんと方向をそろえ、無駄なすき間がないように並べていかないと、いい山はできないのです。しかも、山まで土のうを運ぶのもすべて手作業、さらに調査後は例の過酷な埋め戻し作業が待ちかまえています・・・はぁ〜(ため息)。(O)

 2010年10月20日(水曜日)

謎の石室発見!

炭窯の出入り口の石垣

 現在、鋭意調査中のC2区のすぐそばに、小さな石垣が顔をのぞかせています。石垣は幅50cmほどの間隔で向かい合っており、何やら石室の入り口のようにも見えますね。もしや古墳の石室?それとも新たな城内施設の発見か!?、と高鳴る気分を抑えて、冷静に観察してみましょう。「石室」の奥には大きな円いくぼみがあり、壁の一部には煤がついて黒くなっています。どうやらこれは、江戸時代ないしそれ以降という新しい時代に築かれた「炭窯」のようです。城内にはこのような炭窯が数か所で確認されていて、炭焼きが盛んに行われたことを物語っています。当時、鬼ノ城周辺で暮らす人々にとって、木炭は森林がもたらす貴重な収入源だったのでしょうね。(O)

 2010年10月18日(月曜日)

土手状遺構の構造

土手状遺構の側面

 7月から調査をしている第5水門裏の土手状遺構ですが、少しずつ構造がわかってきました。土手は土を少しずつ積み重ねて、前面に石垣を、石垣の前に敷石を巡らせる構造です。さらに、もともと山の中に隠れていた岩も巧みに利用していました。いまでは第5水門に続く水流が土手状遺構を分断していますが、当時は水流をさえぎるダムのような施設だったと考えられます。土手状遺構は、城内で使用する水を溜めるため、そして第5水門へ流れる水量を制限するためにつくられたと推測しています。ただ、貯水池に接する土手状遺構の背面側の構造は、まだ解明できていません。今後の調査で土手背面の構造を明らかにしていく予定です。(U)

 2010年10月15日(金曜日)

1000人の登山者

温羅舊跡の碑

 鬼ノ城の山頂に「温羅舊址」という碑があるのをご存じでしょうか。昭和12年に鬼ノ城保勝会により立てられたことが裏の刻字でわかります。現在の山陽新聞の前身の合同新聞(昭和12年5月5日)の記事にその除幕式の様子が記されています。
 それによると、除幕式は保勝会の発会式にあわせて行われ、5月1日は雨のため中止となり、翌日2日に執り行われたとか。新聞には、このときなんと「1000人の登山者」があったと記されています。しかも登山者にはもれなく福引景品が配られたそうです。山の登山口では青年団主催の武道大会が行われ、参加町村による団体試合も催されたとありました。ちなみに優勝(一等)したのは「加茂村」でした。
 当時の鬼ノ城をめぐる人々のにぎわいを読み取ることができます。(K)

 2010年10月8日(金曜日)

田んぼのクローバーもどき

クローバーもどき

 ここは、鬼城山ビジターセンター駐車場の隣にある「北の吉備路学習見本園」です。観察用の木道から秋の草花を愛でつつ、ふと足元に目をやると、何とあたり一面に四つ葉のクローバーがびっしり!かと思いきや何か変。いくら何でも三つ葉が1枚もないなんて・・・その正体はクローバーではなく「デンジソウ」。こんな姿でも実はシダの一種です。一風変わった名前はまさか「電磁」ではなくて、「田字」、つまり葉の形が「田」の字に似ていることからきています。昔はごく普通の水田雑草だったデンジソウですが、除草剤の使用などによって激減し、今ではレッドデータブックに載ってしまっています。もしこの植物を、本当の野生状態で見つけることができたら、四つ葉のクローバーよりもずっとすてきな幸運が舞い込むかもしれませんよ。(O)

 2010年10月1日(金曜日)

鬼ノ城フォーラム開催

鬼ノ城フォーラム

 9月25日に県立美術館で「謎の鬼ノ城〜城内を探る」と題して、フォーラムが開催されました。フォーラムの参加は事前申し込みとさせていただいておりましたが、応募多数のため、お断りをさせていただいた方々もいらっしゃいました。大変申し訳ありませんでした。
 フォーラムでは、國學院大學の鈴木靖民先生のご講演のあと、鬼ノ城と熊本県鞠智城の調査報告がなされました。最後に、岡山理科大学亀田修一先生のコーディネートで鬼ノ城をめぐる謎についてパネルディスカッションが行われました。特に鬼ノ城の築城時期については、最新の研究データをもとに活発な議論が披露されました。これらの問題に決着がつくのはいつのことになるのか・・謎は続いています(K)。