砥石〈といし〉城跡 (市指定文化財)    瀬戸内市邑久町豊原 



 砥石城は、瀬戸内市の西端に広がる千町平野を北に見下ろす丘陵上に築かれています。この千町平野の北側にある福岡の地には守護所〈しゅごしょ〉が置かれたほか、『一遍上人絵伝』にも描かれた市が立ち、鍛刀も盛んに行われるなど、備前国における政治・経済の重要な拠点でした。砥石城はこの福岡の地を一望できる場所に築かれていることから、この地域を掌握するのに欠かせない城の一つであったと思われます。

 砥石城が築かれた時期は分かっていませんが、山名俊豊〈やまなとしとよ〉・松田元成〈まつだもとなり〉と福岡の地を巡って争った浦上則国〈うらかみのりくに〉が、文明17年(1485)に「戸石城」で戦死したことが『蔗軒日録〈しゃけんにちろく〉』に書かれており、この頃までには築城されていたようです。
 『備前記〈びぜんき〉』や『備陽記〈びようき〉』によれば宇喜多能家〈よしいえ〉(直家〈なおいえ〉の祖父)や島村観阿弥〈かんあみ〉の在城が伝えられていますが、弘治2年(1556)に城主であった宇喜多大和守〈やまとのかみ〉を宇喜多直家が討ち取ったのは確かなことのようです。その後、『吉備温故秘録〈きびおんこひろく〉』では宇喜多春家〈はるいえ〉(直家の弟)が天正2年(1574)まで在城したと記されていますが定かではなく、廃城の時期も明らかではありません。

砥石城遠景の写真
砥石城遠景(北から)

 城は、砥石山の山頂に長さ45m、幅19mの細長い主郭〈しゅかく〉を設け、北東に向かって下がる尾根筋にいくつもの曲輪〈くるわ〉を配した、南北約300mの連郭式〈れんかくしき〉となっています。主郭には石垣が築かれていたようですが、後世の改修によって往時の姿は留めていません。
 また砥石山の西方約200mにある尾根上にも、出丸〈でまる〉ないしは出城〈でじろ〉と呼ばれている城があります。尾根の基部近くに堀切を備え、尾根最高所に土塁が構築された主郭、その北側にいくつもの曲輪を配した連郭式の構造を持っています。この城跡については高取備中守〈たかとりびっちゅうのかみ〉が築いた高取山城〈たかとりやまじょう〉に比定する説もあります。

砥石城より千町平野を望む写真
砥石城より千町平野を望む(南から)
砥石城主郭の写真
砥石城主郭(南から)

 *JR邑久駅の南2.5kmにある忠魂碑が建てられた登城口から徒歩約15分。

砥石城アクセスマップ
砥石城アクセスマップ

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