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 このコーナーでは、中世城館跡総合調査を担当している調査員からのホットな情報をお届けします。 この便りを通して、調査の様子を感じ取っていただき、興味・関心を深めていただければと思います。

<平成25年度>

 第10号

平成25年度中世城館跡総合調査の終了

 3月末をもって平成25年度の中世城館跡総合調査を終了します。今年度は県南東部を中心とした4市1町(玉野市・備前市・瀬戸内市・赤磐市・和気町)に所在する183か所の城や館跡について、現地調査を行いました。
 その結果、曲輪や土塁、堀切といった城館の施設を確認したものが87か所、はっきりとした施設は認められないものの城館跡の可能性がある場所が74か所あることが分かりました。これらについては、現在の状況やその構造を把握するために図面を書いたり、写真を撮ったりして、その特徴を記録しました。
 一方、『岡山県史』や『久世町史』にまとめられている古文書から、城館に関わる記載があるものを調べて台帳にまとめていきました。また、『備陽記』・『東備郡村誌』といった近世以降の地誌や『児島郡誌』・『赤磐郡誌』・『和気郡誌』といった自治体誌などを参考にして、城館跡の所在や由緒に関わる情報を収集しました。このほか、地名辞典や自治体誌から「堀」や「土居」といった城や館に関連する地名を抜き出して、地籍図を利用しながら城館跡の推定を試みました。
 こうした文献調査の成果を参考にしながら、現地調査の結果を再検討し、今後の課題を明確にしていきたいと考えています。来年度は岡山市域を中心に城館調査を実施する予定ですので、御理解・御協力をよろしくお願いします。                  (S)

現地調査の準備作業の様子 天神山城跡の現地調査の様子
現地調査の準備作業の様子 天神山城跡の現地調査の様子
現地調査記録の整理作業の様子 文献調査の整理作業の様子
現地調査記録の整理作業の様子 文献調査の整理作業の様子

 第9号

前方後円墳を発見!!

 中世の山城を探し、野山を駆け巡る毎日ですが、その過程で思わぬ遺跡に出くわすことがあります。今回は、これまで知られていなかった前方後円墳発見のいきさつを紹介します。
 ことの発端は、調査協力員の畑和良さんが『改修赤磐郡誌』に記された「頂上に円形の陣地を造り、その南側に空堀を造る。北に続く稜線には細長い削平部がある(筆者要約)」という和気町父井原にあったとされる「矢口城跡」の記事に注目したことからはじまります。しかし、「矢口城跡」は遺跡地図の位置には見当らず、畑さんは付近をくまなく歩いてようやくそれらしい場所を探しあてました。
 知らせを受けた私は畑さんと現地を訪れ、それが山城に関する遺構ではなく、約40mの大きさの前方後円墳であることを確認しました。
 この古墳は、見晴らしの良い丘陵の先端部近くに独立して築かれていることや、前方部が低く造られる(前方部が未発達)ことなど、古墳の中でも古い要素が認められることから、古墳時代前期(約1,700年前)にさかのぼるものと考えられます。
 古墳時代の首長墓である前方後円墳は、和気町内ではこれまで全長約29mの大明神古墳(町史跡)しか知られておらず、合併前の旧佐伯町内でははじめてとなる貴重なものです。地誌で「矢口城跡」と呼ばれてきた場所に見つかった古墳ということで、このたび「矢口古墳」と名付けました。まさに「予想外の」発見でしたが、この地域の歴史を考えていく上で非常に貴重な発見に立会うことができ、歩きがいを感じました。       (K)

矢口古墳が所在する丘陵を望む写真
矢口古墳が所在する丘陵を望む
(和気町父井原地区・南から)

 第8号

天神山城跡の調査

紅葉に彩られた天神山城の写真
紅葉に彩られた天神山城跡
(写真中ほど右)

 11月中旬に、戦国時代、備前・美作・播磨三国を支配した浦上宗景〈うらかみむねかげ〉の居城である天神山城跡(和気町)の調査を行いました(調査の様子は12月27日付山陽新聞夕刊で紹介されました)。
 この城は、標高300mを超える山頂を約400mにわたって利用している大規模な山城であり、城内の遺構も比較的良好に残されています。頂上にいたる斜面は大変急峻で、踏査が難しい場所も多くありました(天神山城を攻め落とそうとする際は、強力な防御施設になることが実感できます)。こうしたこともあってか、これまでの縄張り図は頂上部の遺構の図化が主に行われてきたようでした。そこで、今回は頂上部に加えて、急峻な斜面部の構造にも焦点を当て、綿密に調査を行いました。
 作業は難航を極めましたが、その結果、斜面部にも幾重にも郭を設けていることが判明し、従来考えられていたよりもさらに複雑な構造であることがわかってきました。
 岡山県史跡に指定されている著名な天神山城跡ですが、今回の調査によってより多くの情報を得ることができました。                               (K)

 第7号

おもしろい記事

 今回もまた文献調査についてです。
 江戸時代に作成された『備前記〈びぜんき〉』・『備陽記〈びようき〉』・『吉備温故秘録〈きびおんこひろく〉』といった備前地域の地誌には、地域の自然・風土・人口・産業・歴史や文化などが書かれており、城館に限らず当時のこの地域を調べる上で欠かせない書物です。これらの書物を読んでいると、おもしろい記事に出会うことがあります。例えば、『備陽記』には「備前国之内ヨリ珍敷物出ル事」として「白鳥」・「白燕」・「海獺」・「両頭ノ牛」・「万宝」・「熊」のことが書かれていました。そのうち「海獺〈ウミヲソ〉」・「両頭の牛」・「万宝」にはスケッチも併せて載せられていますが、「万宝」は「マンボウ」、「海獺」は文字どおり「ラッコ」でしょうか?、「両頭ノ牛」については本当にいたの?というような姿で描かれています。
 現在の私たちにとって、「熊」や「ラッコ」は本や映像などで見慣れた動物ですが、当時の人々たちにとっては、珍しい生物であったのでしょう。これらが見つかった時は、近隣住民が総出で集まる程の騒ぎであったのではないでしょうか?。            (Y)

ウミヲソの挿絵 両頭の牛の挿絵
「海獺」 「両頭ノ牛」
マンボウの挿絵
「万宝」

 第6号

岡山県中世城館跡総合調査事業会議の開催

会議風景の写真 GPS受信機を利用した現地調査の写真
会議の様子 GPS受信機を利用した現地調査
(手元の黄色機械)

 10月16日に、平成25年度の「岡山県中世城館跡総合調査事業会議」を開催しました。
 この会議には、専門委員として調査の指導をお願いしている稲田孝司先生(国立大学法人岡山大学名誉教授)、中井均先生(滋賀県立大学教授)をはじめ、調査に協力していただいている備前市・赤磐市・瀬戸内市教育委員会の文化財専門職員及び文献史の研究者の方々に出席をお願いしました。
 初回の会議ということもあり、最初に7か年にわたる事業の概要を説明した上で、今年度の計画やこれまでの調査状況を報告しました。専門委員や調査協力員の方々からは、さまざまな意見を頂きましたが、中でも、「GPS受信機」を利用した縄張り図の作成方法に質問が集まりました。これまでは地形図の等高線を手がかりに城跡の測量図をはめ込んでいましたが、この受信機を使用して計測した座標値をもとに地形図へ正確に記入することができるようになりました。こうした調査方法は今回の事業を特徴づける新しい試みで、城跡の構造解明はもちろんのことですが、正確な位置を示すことによってさまざまな開発から城跡を護る上でも大いに力を発揮するものと思われます。     (S)

 第5号

現地調査指導の実施

現地調査指導の写真
現地調査指導の様子

 暑さが厳しい8月26日に、福岡県から九州歴史資料館学芸員の岡寺良さんをお招きして調査方法等について御指導いただきました。地表面に残る起伏を堀切や土塁などの遺構として把握しそれを正確に図化するのは独特の難しさがあり、また技術が要求されるからです。岡寺さんは、最近文化庁が監修した『発掘調査のてびき−各種遺跡調査編−』において「城館の調査」の執筆に携わられ、また御自身も福岡県で実施している中世城館跡総合調査の担当者として活躍しておられます。
 現地指導を受けた岡山市北区勝尾山城跡は、宇喜多氏との戦いに備え毛利方の吉川経言〈つねとき〉(のちの広家)が在城したと伝わる城ですが、竪堀と横堀を組み合わせて巧妙に造られています。現地では、地形の起伏からどういう情報が読み取れるのか教わった後に、実際の図面(「縄張り図」といいます)作成の様子を見せていただきました。
 この時はよく理解できていなかったことも、秋、冬・・と調査を進めるにつれ自然と納得できるようになっていきました。
 今、経験を積んだ目で勝尾山城跡を見直すと、きっと新しい知見が得られると思います。
 最後になりましたが、酷暑の中を御指導いただいた岡寺さんに感謝します。 (K)

 第4号

文化財担当者専門研修に参加

 6月中旬の約1週間、奈良文化財研究所が主催する「文化財担当者専門研修中近世城郭調査整備課程」に参加してきました。
 研修には全国から25名が集まりました。その参加者の多くが、各自治体の第一線で城郭の保存整備事業に取り組む職員でしたが、私のように中世城館跡の総合調査に従事する方もおられました。研修はもちろん城館跡に関連したものに限られ、城館跡の見方・調査・整備の手法など総合的に学べました。この中には実際の山城を踏査して、構造やその見方、縄張り図の作成法などを学ぶ実践的な研修もあり、私たちが中世城館跡総合調査を進めていく上で大変参考となりました。
 研修の内容も大切ですが、研修に集まった方々との交流や情報交換からも多くのことを学ぶことができました。この研修で得た多くの貴重な経験を今後の仕事に生かしていきたいと思っています。(K)

 第3号

地名調査の「心強い味方」

 下の記事の続編です。地名調査では、地名は過去の土地の由来を残していることが多いため、その土地の歴史(土地利用の履歴)を調べる上で有効な方法です。
 具体的には、「土居」「堀」「構」「的場」などが中世城館跡に関連性が強い地名として知られていますが、こういった地名を知るためには、現地での聞き取りや、史料(文献・絵図・地籍図など)の調査などを行わなくてはいけません。しかし、手間が多くかかり、現在では入手が困難な史料も多いため、大変な作業です。そこで、登場するのが先ほども名前が出てきた『角川日本地名大辞典』です。  
 この本には、県内の地名の多くが収載されています(付録「小字一覧」)。これを調べることで県内のどの地区に城館に関連した地名があるのかを知ることができます。まさに、「心強い味方」として、手放すことができません。ただし、県内すべての地域を網羅していないことが難点です。お近くで、「馬場」や「大手」などの城館に関連した地名があればぜひご教示ください。(K)

 第2号

文献調査の「ハードル」

 今回は中世城館跡の総合調査ということで、現地調査(踏査、縄張り図作成など)に加えて、文献調査・地名調査という柱を立てて調査研究を進めています。そのうち、文献調査では城主や築城の由来を具体的に調べることができるという強みがあります。実際に書物(文献)を調べていくと、「△△城は○○村大字□□にある」という文章が出てきます。
 生まれも育ちも岡山県ではない私には、この○○とか□□という地名が高い「ハードル」として立ちはだかります。簡単に読めるものもありますが、「周匝」・「宍甘」・「砦部」・「神代」・「倭文中」など、どう読むの?という地名がたまに出てくるのです。地名のことなら『角川日本地名大辞典 33 岡山県』(角川書店1989)という非常に頼もしい辞書はありますが、読み方が分からないので辞書が引けません。悪戦苦闘しながらもなんとか読めるようになりましたが、みなさんはいかがですか?
 答えは・・・あえてここには書きません。ぜひご自分で調べてみてください。(Y)

第1号

岡山県中世城館跡総合調査はじまる

 最近、身近な地域に残された文化財に興味や関心を持つ方々が増えているように思います。例えば、今から400〜800年程前に築かれた中世の城や館(やかた)跡を見直す取組みもその1つでしょう。平成22年に開催された「あっ晴れ!おかやま国民文化祭」の「中世山城の祭典」(津山市)での、それぞれの地域における盛り上がりは記憶に新しいところです。こうしたふるさとの歴史に対する熱い思いは、理屈では説明できませんよね。
 その一方で、様々な開発行為による、城館跡に対する悪影響が懸念されていることも残念ながら事実です。そのためにも、県内各地に残る城館跡の現状をしっかりと確認にして記録にとどめて、今後の保護や活用に役立つ資料にまとめることが大切だと考えています。
  今年度の調査は、備前市・瀬戸内市・赤磐市・和気町・玉野市・吉備中央町を対象とさせていただきます。。順次、みなさんの地元にもお伺いしますが、調査への御理解と御協力をどうかよろしくお願いします。
  なお、今年度の担当者はS・Y・Kの3人です。「調査員だより」として、各人が仕事に取り組む中で感じたことや気付いたことなどを書き留めていく予定です。どうか、おつきあいのほどよろしくお願いします。(S)