その4 (平成31年3月22日更新)

 南山城跡では、城兵の駐屯場所である曲輪〈くるわ〉の調査が進み、城内の様子が少しずつ明らかになりつつあります。  
 曲輪のへりや土塁の上などでは、礫を寄せ集めた「集石」が10数か所で見つかりました。これらは、敵兵を迎え撃つために準備された「投石(つぶて石)」と考えられます。素朴な武器でありながら威力は大きく、厳重な防御施設とともに城の守りを担っていたようですが、実際に使われた形跡はありません。  
 一方で曲輪内からは、鍋や羽釜、すり鉢などの生活用品や、粘土を焼いて作った漁網のおもりである土錘〈どすい〉も多数出土しています。城兵たちが炊事や食事をしたり、ふもとの川で魚採りをしたりといった場面が想像でき、ちょっと微笑ましくも感じます。
 南山城跡の調査は来年度も継続します。遺構・遺物の検討を通じて、城の守りや城内の暮らしぶりの解明をさらに進めていきます。

曲輪内部の調査 集石の検出状況
曲輪内部の調査 集石(つぶて石)の検出状況
すり鉢や鍋などの破片 まとまって出土した土錘
すり鉢や鍋などの破片 まとまって出土した土錘

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 その3 (平成30年12月26日更新)

 南山城跡では曲輪〈くるわ〉の調査と並行して、城の北側でも調査を進めてきました。
 曲輪の北側では敵の侵入を防ぐために人工的に造られた崖である切岸〈きりぎし〉が全面に現れました。その勾配〈こうばい〉は約60〜70度と急傾斜です。
  また、城の北西側では堀切と竪堀がそれぞれ三条並んで見つかりました。そのうち、最も規模の大きい堀切は幅約5.9m、深さ約2.8mもあり、その北端の両肩には土塁〈どるい〉が設けられていました。
 さらに、竪堀の北東端から曲輪の北西側にかけて幅1m前後の通路が見つかり、つづら折りになりながら曲輪の北側にある出入口(虎口〈こぐち〉)まで続いていることが分かりました。
 これから厳しい冬を迎えますが、南山城跡の調査は曲輪と南西側を中心に進めていきます。引き続き、新たな発見が期待されます。

南山城跡の遠景 北西側の堀切と竪堀
南山城跡の遠景(北西上空から) 北西側の堀切と竪堀(西から)
最も規模の大きい堀切 曲輪の北側の出入口に続く通路
最も規模の大きい堀切(南から) 曲輪の北側の出入口に続く通路(西から)

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 その2 (平成30年9月20日更新)

 西日本豪雨の影響により、発掘調査を一時中断していましたが、7月中旬から調査を再開しました。  
 現在は、南山城の中枢部分にあたる曲輪〈くるわ〉と、敵の侵入を防ぐために造った人工の崖である切岸〈きりぎし〉を調査しています。  
 曲輪は兵士が駐屯するために広い平坦地になっていますが、一部については、厚さ3メートル余りの盛り土をして築いていることが分かりました。引き続き調査では、曲輪の中に建物跡などがないか、確かめているところです。  
 南山城は文献などに記録が残っておらず、いつ誰が築いたのか謎の城ですが、曲輪の調査が進めば、その解明に一歩近づくと思われます。

曲輪の調査の様子 曲輪東側の切岸
曲輪の調査の様子(北東から) 曲輪東側の切岸(南東から)

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 その1 (平成30年5月24日更新)

 南山城跡の発掘調査も2年目を迎え、4月から城跡を本格的に調査しています。この城跡は丘陵頂部に造成された平坦地(曲輪〈くるわ〉)とその南側に一段低い小さな曲輪を構えたうえ、曲輪には土を高く盛り上げた土塁〈どるい〉、出入り口となる虎口〈こぐち〉、正面と側面から侵入者を攻撃するため屈曲させた横矢〈よこや〉を設けています。さらに曲輪周辺に急勾配の切岸〈きりぎし〉、尾根西側に三重の堀切〈ほりきり〉、北斜面と東斜面に複数の竪堀〈たてぼり〉、南斜面に竪堀を横に連続させた畝状竪堀群〈うねじょうたてぼりぐん〉などの防御施設を備え、堅固な造りとなっています。これらの遺構の多くは地表面で確認することができ、発掘調査を進めるうえで、大きな手がかりとなっています。
 発掘調査は城跡の北西側と南側から進めています。このうち、城跡の北西側では迫力のある急勾配の切岸、北側で一つにつながる三重の堀切、堀切と竪堀を複雑につなぐ横矢などを調査しており、各遺構の規模とともに城の巧みな構造が明らかになりつつあります。

北西側の切岸、堀切(西から) 北西側の堀切、竪堀、横矢(南東から)
北西側の切岸、堀切(西から) 北西側の堀切、竪堀、横矢(南東から)
南山城跡遠景(南から)
南山城跡遠景(南から)

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