その6 (平成27年3月20日更新)

  刑部遺跡と神明遺跡の今年度の発掘調査が終了しました。
 今回ご紹介する神明遺跡では、銅鐸〈どうたく〉が出土した場所から少し離れた微高地の東端を調査しました。そこでは、弥生時代後期後半の竪穴住居が11軒見つかり、なかには2〜3軒重なっているものもありました。また、たくさんの弥生土器が出土した溝や土坑も見つかりました(写真1・2)。こうした弥生時代の遺構が集中している場所からさらに東では、新たに古墳時代後期のカマドを持つ竪穴住居2軒が見つかりました。カマドには、それぞれ棒状の土製支脚〈しきゃく〉と高杯〈たかつき〉を転用した支脚が残っていて(写真3)、当時の使用状況がうかがえます。また、前回紹介した須恵器が並んでいた古墳時代後期の溝の中から、馬のものと推測される歯が出土しました(写真4)。この溝がマツリの場として利用されていた可能性が高まります。さらに奈良時代では、柱穴列を伴う3×2間の総柱建物があらたに1棟見つかりました。総柱建物とは、建物内部に床を支える柱が配置されているもので、多くが高床〈たかゆか〉倉庫と推定されています。  
 
 刑部遺跡では、主に奈良時代から平安時代の溝や鎌倉時代の建物、土坑などを確認しています。そのうち、鎌倉時代の2基の穴は、中から人の骨と歯が出土したことから墓と考えられます(写真5)。

土器がたくさん出土した弥生時代の溝(南から) 弥生時代の土坑から出土した器台(北西から)
写真1
土器がたくさん出土した弥生時代の溝
(南から)
写真2
  弥生時代の土坑から出土した器台
(北西から)
カマドの支脚(南から) 古墳時代後期の溝から出土した動物の歯(北東から)
写真3
古墳時代のカマドに残る支脚(南から)
写真4
古墳時代後期の溝から出土した
動物の歯(北東から)
鎌倉時代の墓の骨と歯の出土状況(北から)
写真5
 鎌倉時代の墓から見つかった骨や歯
(○印、北から)

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 その5 (平成27年2月3日更新)

  神明遺跡では、銅鐸が出土した微高地頂部から東へ下っていく場所を調査しています。微高地の斜面付近では、弥生時代中期の終わり頃〜後期(約2,000〜1,800年前)の、長さ1m以上、深いもので1m近くになる大きな穴(土坑〈どこう〉)が50基以上見つかりました(写真1・2)。中に土器が捨てられている土坑もありましたが、大半が何も入っていませんでした。穀物などを貯蔵するために掘られたのかもしれません。
 微高地から低く下がった場所では、弥生時代後期以降に居住可能になったと考えられ、微高地頂部ではあまり見られなかった古墳時代〜古代の遺構が広がっています。古墳時代前期〜後期(約1,700〜1,400年前)の溝では、溝底に完形に近い土器が置かれていたり(写真3)、肩口付近で滑石〈かっせき〉製の小玉が10点以上まとまって出土したりしており、ムラ近くの水辺でマツリをしていたようです。また、炭化した建築材が出土した古墳時代後期の竪穴住居ではカマドにカメが掛けられたまま潰れていました(写真4・5)。もしかしたら、火災にあって急いで逃げ出したのでしょうか。さらに、奈良時代には、塀の可能性のある柱穴列を伴う4×2間の掘立柱建物〈ほったてばしらたてもの〉1棟があり(写真6)、近くの神明神社や備中国府との関連で興味深い発見です。 
 
 12月から刑部遺跡の調査を再開しました。場所は、平成25年度に発掘した弥生時代のムラの西側にあたります。これまでに、鎌倉時代以降に川が埋まった後に耕作地として利用していた痕跡(溝や畦)や柱穴列などが見つかっています。まだ始めたばかりですが成果にご期待ください。

斜面付近にある弥生時代の住居と土坑(東から) 高まりに掘られた土坑群(北から)
写真1
斜面付近にある弥生時代の住居と土坑
(東から)
★が銅鐸出土場所です
写真2
 高まりに掘られた土坑群(北から)
古墳時代後期の溝中に置かれた須恵器(東から) 古墳時代後期の火災にあった住居(南東から)
写真3
古墳時代後期の溝中に置かれた須恵器
(東から)  
写真4
古墳時代後期の火災にあった住居
黒く散っているのが建築材、(南東から)
カマドに掛けられたまま潰れたカメ(南東から) 奈良時代の掘立柱建物(西から)
写真5
 カマドに掛けられたまま潰れたカメ
(南東から)
写真6
 奈良時代の掘立柱建物(西から)

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 その4 (平成26年11月27日更新)

  今年度の調査も下半期に入り、神明遺跡の調査は西半分を終了しました。
  弥生時代の神明ムラについては、銅鐸が出土して大きな話題となりました。銅鐸が埋められていた土坑の周辺では、竪穴住居や土坑などがいくつも重なり、これまでに竪穴住居は12軒も見つかっていることから、大きなムラであったと考えられます(写真2)。銅鐸は地形が下がり始めた場所で見つかったことから、ムラの中心よりやや外れた場所に埋められていたのでしょう。古墳時代も後期になると、カマドを持った竪穴住居(写真3)や掘立柱建物がつくられ、西側の低い部分にもムラが広がっていくことが分かりました。奈良時代になると3×2間の掘立柱建物や土地の東西を区画する溝が掘られ、丹塗りの土器が多く出土しました(写真4)。これらの遺物は、一般の集落ではあまり見られないもので、役所などの公的な施設やそれに関係する場所であった可能性が考えられます。

神明遺跡全景(西から) 弥生時代の竪穴住居(西から)
写真1
 神明遺跡全景(西から)
写真2
 弥生時代の竪穴住居(西から)
カマドを持つ竪穴住居(南から) 奈良時代の土器出土状況(南東から)
写真3
 カマドを持つ竪穴住居
写真4
 奈良時代の土器出土状況

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 その3 (平成26年9月11日更新)

今年度から調査を行っている神明遺跡から、銅鐸が出土しました。
 この銅鐸は、銅鐸を埋めるために掘られた穴=埋納坑(東西約60cm、南北約40cm、深さ約30cm)から、鰭〈ひれ〉を上下に立てた横倒しの状態で見つかっています。埋納坑は、集落が想定される地形の高まりから北へ向かって下がり始める場所で検出され、弥生時代中期末〜後期初め頃の土器を含む層を掘り込んでいるので、銅鐸の埋納時期は弥生時代後期初め頃(約2,000年前)以降と考えられます。
 銅鐸は、高さ約30p、幅約15cm、奥行き約10cmの大きさです。錆や土の付着により銅鐸の表面は見づらいですが、弥生時代中期(約2,200年前)に製作された外縁付鈕(がいえんつきちゅう)式と呼ばれる古い段階の銅鐸と推定しています。
 なお、9月13日(土)に岡山衛生会館三木記念ホール(県古代吉備文化財センター30周年記念シンポジウム会場)において展示をする予定です。

銅鐸出土状況
銅鐸出土状況

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 その2 (平成26年6月23日更新)

   調査開始から2か月が経ち、各調査区の様子が少しずつ見えてきています。
 刑部遺跡では5月からムラの中心部の一角の調査を進めています。昨年の調査状況から予想していた以上に弥生時代〜古墳時代の竪穴住居、掘立柱建物など多くの遺構<いこう>が密集しており、当時の刑部ムラの大きさを改めて感じています。
 神明遺跡では主に西半部分の調査を進めています。残念なことにこの部分の地表面は大きく削り取られ、生活の痕跡があまり良く残っていません。しかし、前回ほぼ同じ位置で検出された2つの溝として紹介したムラの西を限る川からは弥生時代後期〜古墳時代の土器が大量に出土しており、当時は多くの人々が住んでいたと考えられます。また、川の近くで乳幼児を埋葬したとされる土器棺<どきかん>も見つかりました。弥生土器の甕に鉢で蓋をしたもので、当時の習俗<しゅうぞく>を知る重要な手がかりの一つです。

刑部遺跡 弥生時代の竪穴住居の写真
弥生時代の竪穴住居(刑部遺跡)
神明遺跡 神明ムラの西を限る川の写真 神明遺跡 弥生人のこどもの墓の写真
神明ムラの西を限る川(神明遺跡) 弥生人のこどもの墓(神明遺跡)

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 その1 (平成26年5月19日更新)

  一般国道180号(総社・一宮バイパス)改築工事に伴う発掘調査は、4月から刑部遺跡と神明遺跡の調査に着手しています。
 このうち昨年度から調査を継続している刑部遺跡では、弥生時代〜古墳時代の溝を数条調査しています(写真1)。これらの溝は平行してまっすぐ流れています。昨年度に調査を行った集落部分の縁辺を流れていると思われます。
 一方、今年度新たに調査を始めた神明遺跡では、弥生時代と古墳時代の溝がほぼ同じ位置で検出されました(写真2)。この2つの溝からは、整理箱30箱にもおよぶ多量の遺物が出土しています。
 まだ調査が始まって1か月ほどしか経っていませんが、すでにかなりの数の遺物が見つかっており、今後の調査にも期待してください。

刑部遺跡 平行に流れる数条の溝 神明遺跡 古墳時代の溝
写真1
 平行に流れる数条の溝(刑部遺跡)
写真2
 古墳時代の溝(神明遺跡)

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