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年表

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しらべてみよう!


伊部南大窯(いんべみなみおおがま)跡 備前市伊部

 備前焼(びぜんやき)は今から800年ほど前から現在までつくられている岡山県を代表する焼き物です。伊部南大窯跡は、室町時代の終わりごろから江戸時代にかけて備前焼が焼かれていた窯(かま)の跡で、東側窯跡・中央窯跡・西側窯跡の三基からなります。一番大きな東側窯跡は長さ53.8m、最大幅5.2mもあり、窯の中に仕切りのない窯としては国内最大級の窯跡です。
 伊部南大窯跡では平成17年から備前市教育委員会によって本格的な発掘調査(はっくつちょうさ)が行われています。現在までのところ、東窯跡の中央には40本近くの柱が並んでおり、窯の天井がそれらにより支えられていたこと、窯の側面には焼き物を出し入れする入り口があったこと、江戸時代前半にやや小さな窯につくりかえられていたことなどがわかりました。

北から望む東大窯 東大窯近景
 中央の2本の大きな木の間が東窯跡です。窯跡の両脇には焼くのに失敗した備前焼が積まれています。  近くから東窯跡を見上げると両側にかつての窯のかべがのぞいています。
いってみよう
・JR赤穂線伊部駅下車、南へ徒歩約10分。山陽自動車道和気ICから車で約15分。
関連リンク
・古代吉備を探る2「備前焼のはじまり」

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大成山(おおなるやま)たたら遺跡群 新見市神郷町油野

 大成山(おおなるやま)たたら遺跡群は鉄づくりを行ったところで、明治時代の書類にも書かれています。三室川ダム建設に伴って発掘調査をしたところ、中世から明治時代にわたり鉄をつくったところが7か所見つかりました。
 「たたら」とは、川や山にある砂鉄と炭を高い温度の炉(ろ)に入れてとかし、鉄のかたまりをつくる所のことです。 鉄をつくっていた高殿(たかどの)という建物や、炉は残っていませんが、炉の下に湿気を防ぐためにつくられた床釣り(とこつり)という施設が残されていました。また、 できた鉄をきたえた大鍛冶場(おおかじば)も見つかっています。

高殿たたらの地下部分 大鍛冶場跡
 高殿たたらの地下の様子。中央が炉跡で、左右にあるのが床釣りです。  できた鉄を鍛えた大鍛冶場の跡です。
いってみよう
・現在、大成山たたら遺跡群を見ることはできませんが、三室川ダム管理事務所脇に大鍛冶場が復元されています。また、神郷生涯学習センターには高殿の模型が展示されています。
・三室川ダム管理事務所へはJR伯備線足立駅前車で三室川沿いに進み、約10分。
関連リンク
・古代吉備を探る「たたら」
・古代吉備を探る2「山田方谷とたたら製鉄」

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大廻小廻山(おおめぐりこめぐりやま)城跡 岡山市草ヶ部

 大廻小廻山城は、岡山市の北東側にある高さ約200mの小廻山と大廻山にかけて築かれた古代山城です。総社市にある鬼ノ城と同じく7世紀後半頃<約1,300年前>に唐(とう)・新羅(しらぎ)の軍隊が、日本へ攻めてくることをおそれてつくった山城のうちの一つと考えられています。このような山城は西日本各地に約30か所ほどしか知られていません。
 この山城は周りを土と石で造った城壁(じょうへき)で囲まれていて、全周は3.2kmあり、鬼ノ城よりやや大きな山城です。これまで岡山市教育委員会が発掘調査を行い、水門などの様子がわかってきましたが、門や城内にどのような建物があったかなどはわかっていません。

空から見た大廻小廻山城跡 調査中の土壁
 空から見た大廻小廻山城跡。赤線で囲ったあたりにあります。  山城を囲む土壁の跡。壁の下には石が並べられていました。(岡山市教育委員会提供)
一の木戸 水門
 城内にある一の木戸(いちのきど)では、石で築いた城壁を今も見ることができます。  一の木戸では水を城の外へ出すための水門が残っています。

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大谷・定(おおや・さだ)古墳群 真庭市中津井

 大谷・定古墳群は、飛鳥(あすか)時代<7世紀>に相次いでつくられた6つの古墳です。飛鳥時代は、古墳がつくられた時代でも終わりに近く、古墳の大きさも小さくなり、数も減っていきます。そのような中で、古墳のまわりに石をきれいにならべた四角い方墳(ほうふん)がつくられるようになります。
 大谷・定古墳群では、このようなひときわ目をひく方墳が6基も集中してつくられています。 どの古墳にも横穴式石室(よこあなしきせきしつ)があります。中でも定北(さだきた)古墳と大谷1号墳の石室は、石を丁寧(ていねい)に加工し、きれいに積み上げています。「切石積み(きりいしづみ)」と呼ばれる石室ですが、県内でも3つしかない珍しいものです。
 また、豪華(ごうか)な副葬(ふくそう)品も見つかっていて、大谷1号墳からは全体を金でかざった装飾付大刀(そうしょくつきたち)が出土しています。

復元された大谷1号墳
 復元された大谷1号墳。階段状に石を並べた方墳で、一辺15mほどの小さなピラミッドのようです。(真庭市教育委員会提供)
大谷1号墳の石室 現在の定古墳の様子
 大谷1号墳の石室内。表面をきれいに平らに加工した切石積み石室です。床にも平らな石を敷いています。  定東塚・西塚(さだひがしづか・にしづか)古墳。竹やぶの中に、2つの石室の入り口が見えます。
いってみよう
・JR備中高梁駅からバス約30分、「中津井」下車徒歩10分。中国自動車道北房I.Cから車で約10分。
関連リンク
・古代吉備を探る「終末期古墳を考える」
・子どもホームページ「装飾付大刀」

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恩原(おんばら)遺跡群 鏡野町上斎原恩原

 恩原遺跡群は中国山地の恩原湖のまわりにある旧石器時代(きゅうせっきじだい)<約22,000から13,000年前>の遺跡群で、一部が岡山大学考古学研究室によって調査されました。
 旧石器時代の人々は、えものとなるシカなどを追って移動しながら生活していました。恩原遺跡群では狩りに必要な石器(せっき)をつくった場所や、調理のため石を集めてつくった炉跡(ろあと)が見つかっています。今はダムができて湖となっていますが、もとは川の近い場所にあり、旧石器時代の狩人(かりうど)は水を飲みに来た動物をねらっていたのかもしれません。

調査中の恩原遺跡
恩原遺跡群の発掘調査の様子(昭和63年頃)
ナイフ形石器 細石刃や彫刻刀形石器
 約15,000年前のナイフ形石器石器。ものを切るために使います。サヌカイトという安山岩(左)や黒曜石(右)でできています。(岡山大学文学部考古学研究室提供)  約13,000年前の石器。当時の人々は動物を捕るために細石刃(さいせきじん、左上)という小さな石器や、木や骨をけずるために彫刻刀(ちょうこくとう)形の石器(右)を使っていました。また、細石刃は細石核(さいせきかく、左下)を打ちかいてつくりました。(岡山大学文学部考古学研究室提供)
いってみよう
・中国自動車道院庄ICから車で国道179号線を約30分北上、国道482号線へ入り約15分。
関連リンク
・古代吉備を探る「降り積もる火山灰と石器 ナウマン象を追う狩人」
・古代吉備を探る2「石は物語る」

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岡山城(おかやまじょう)跡 岡山市丸の内

 国の史跡である岡山城跡は、安土・桃山時代に宇喜多秀家(うきたひでいえ)により築城され、江戸時代を通じて岡山藩主である小早川・池田氏の居城となりました。当時の天守閣(てんしゅかく)は1945年の空襲で焼けてなくなり、現在のものは1966年に鉄筋(てっきん)コンクリートで建て直されたものです。
 城の中心になる本丸(ほんまる)跡は、岡山市教育委員会によって発掘調査が進められています。古代吉備文化財センターでは、岡山県立図書館が建設された二の丸(にのまる)跡の発掘調査を行いました。二の丸跡では、城の内堀(うちぼり)やその堀にかけられた橋の跡などが見つかりました。また、たくさんの瓦(かわら)や陶磁器(とうじき)、その他さまざまな生活用具が出土しています。なお、図書館正面入り口の東側にある池は、調査で見つかった堀(ほり)の位置を示しています。

東からのぞむ岡山城の天守閣 調査中の岡山城二の丸 内堀と石垣
岡山城の天守閣  発掘された内堀と石垣。現在 県立図書館のある場所です。  内堀の位置を示す池と石垣。 県立図書館の東側にあります。
いってみよう
・JR岡山駅東口から東へ1.5km、徒歩約20分。路面電車<「城下」電停>、バス<「城下」「県庁前」バス停下車>で約10分。
・岡山県立図書館2階で岡山城二の丸の調査で出土した瓦や陶磁器などの一部が見学できます。
・岡山城内では、岡山城の歴史や城下町の様子などを学ぶことができます。
関連リンク
・古代吉備を探る「岡山城と洪水」

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門田(かどた)貝塚 瀬戸内市邑久町尾張

 国の史跡である門田貝塚は弥生時代前期<約2,300年前>の貝塚です。これまでに何度か発掘調査が行われています。
 この貝塚では、弥生時代の人たちが貝を食べた後に捨てた、ハイガイ・カキ・シジミなどの貝がらがたくさん見つかりました。ほかにもイノシシ・シカなどの骨のほか、多くの弥生土器や石包丁・鏃(やじり)・斧(おの)などの石器も見つかりました。
 また、この貝塚の周りでは弥生時代後期<約1,900年前>の塩づくりの土器、奈良時代の建物(たてもの)、鎌倉時代の井戸など、それぞれの時代の生活の跡が見つかっています。

門田貝塚の様子 復元された貝塚
 現在の門田貝塚の様子。貝塚のほか、竪穴住居(たてあなじゅうきょ)も復元されています。  復元された貝塚のアップ。白く見えるのが貝がらです。
いってみよう
・JR赤穂線邑久駅から南東へ約300m、徒歩約5分。岡山ブルーライン邑久ICから車で約10分。
・現在、門田貝塚は「門田貝塚史跡公園」として整備されています。公園では貝塚や竪穴住居2棟が復元されています。
・史跡公園の南約200mには「邑久郷土資料館」があり、2階の門田貝塚資料室では貝塚の一部や出土品が展示されています。
関連リンク
・子どもホームページ「製塩土器(せいえんどき)」

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鬼ノ城(きのじょう) 総社市奥坂

   鬼ノ城は、吉備高原(きびこうげん)の南の端(はし)にある、高さ約400mの鬼城山(きのじょうざん)につくられた、およそ1300年前の山城です。西暦(せいれき)663年、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)の白村江(はくそんこう)で、日本と百済(くだら)の連合軍(れんごうぐん)は、唐(とう)・新羅(しらぎ)の連合軍に敗北します。その後、唐や新羅の軍隊が攻(せ)めてくることを心配した朝廷(ちょうてい)は、西日本の各地に城をつくらせました。鬼ノ城は、そのような古代山城の一つと考えられています。城の外側は総社市教育委員会によって発掘調査が行われ、角楼(かくろう)や城門(じょうもん)、水門(すいもん)、城壁(じょうへき)などの壮大(そうだい)な姿が明らかとなりました。城内は、平成11年に当センターが発掘調査を行っています。倉庫(そうこ)と考えられる建物(たてもの)の跡などが明らかになりました。

西門と城壁 角楼を見上げる
 西門と土の城壁。西門は、4つある城門の中では、もっともよく残っていた最大の門です。平成16年に復元されました。鬼ノ城の城壁の多くは土でつくられ、一部が石垣(いしがき)でつくられています。  角楼。古代山城のなかでも、鬼ノ城だけで見つかっている特別な施設(しせつ)です。
水門の様子 建物の礎石
 石垣の上の部分に、小さなトンネルのような形でつくられている水門。城壁が崩(くず)れないように、城内にたまった雨水を外へ出すための施設です。全部で6か所あります。  礎石建物跡(そせきたてものあと)。建物の柱を支(ささ)えていた礎石が、規則正しくならんでいました。米や武器などを蓄(たくわ)えた倉庫の跡と考えられています。
いってみよう
・JR吉備線服部駅から北へ5km。JR総社駅から車で約20分。岡山自動車道岡山・総社I.Cから約8km。
関連リンク
・当センターホームページ「甦る!古代吉備の国から謎の鬼ノ城」

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こうもり塚(こうもりづか)古墳 総社市上林

 こうもり塚古墳は、「吉備路風土記の丘県立自然公園」内にある全長100mの前方後円墳で、6世紀<古墳時代後期、約1500年前>では吉備地方最大の古墳です。この古墳には、横穴式石室(よこあなしきせきしつ)と呼ばれる石組みの部屋があり、南側の入口部分から内部の様子が観察できます。横穴式石室は、通路部分と奥の遺体(いたい)を埋葬(まいそう)する部屋からなり、全体の長さは19.4mです。その大きさは吉備地方の横穴式石室では最も大きく、使われた一番大きな石は重さ10数トンにもなると思われます。 石室の中には今も石棺(せっかん)が置かれています。ほかに陶棺や、鉄の釘が出土して いることから木棺(もっかん)も納められたようです。 石室の中からは、大刀(たち)、馬具(ばぐ)、鉄鏃(てつぞく)、ガラス玉、須恵器(すえき)等の品々が見つかっています。そのうちの大刀は装飾付大刀(そうしょくつきたち)とよばれ、身分の高い人<武人か?>が持っていたようです。

こうもり塚古墳全景 石室と石棺 刀の飾り
 北から見た古墳の全景。写真中央の小高い部分が古墳です。横穴式石室は向かって右側にあります。  石室と石棺。石棺は浪形石(なみがたいし)という石でつくられています。井原市の周辺で今でも見つけることができます。  大刀の装飾部分。柄頭(つかがしら)にあたります。鳳凰(ほうおう)をかたどったものです。
いってみよう
・JR総社駅から総社バスで「国分寺(こくぶんじ)バス停」下車徒歩5分。あるいは県営国分寺北駐車場から徒歩5分。
・付近には、国分寺跡や国分尼寺跡、吉備において最後につくられた前方後円墳と考えられる江崎(えざき)古墳などたくさんの遺跡があります。
関連リンク
・子どもホームページ「陶棺」
・子どもホームページ「装飾付大刀」

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寒風(さぶかぜ)古窯跡群 瀬戸内市牛窓町寒風

 寒風古窯跡群は、飛鳥時代から奈良時代にかけて、主に須恵器を焼いた窯の跡です。昭和初期に地元の時実黙水(ときざねもくすい)さんの採集により、広くその名が知られ、その後の調査で、窯跡4基・工房跡・古墳が見つかりました。
 この窯跡で焼かれた須恵器は、優れたものが多く、奈良の平城宮跡にも運ばれました。また須恵器をつくる技術は、後の備前焼に影響を与えたと言われています。遺跡のとなりにある寒風陶芸会館では、この窯跡群から出土した須恵器が展示してあります。

雪の積もった寒風古窯跡群 展示されている須恵器
 寒風古窯跡群の様子。案内の看板奧に窯跡群があります。(瀬戸内市教育委員会提供)  寒風陶芸会館に展示されている須恵器。焼かれたときにゆがんだものもあります。(瀬戸内市教育委員会提供)
いってみよう
・JR岡山駅から両備バス「小津」バス停下車、徒歩20分、 岡山ブルーライン「邑久IC」から車で7分

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賞田(しょうだ)廃寺跡 岡山市賞田

 飛鳥時代<約1,350年前>に建てられた寺で、岡山市街地の東側、龍ノ口山のふもとにあります。当時、このあたりにいた上道氏(かみつみちし)という有力な豪族の寺だと言われています。
 現在、寺の建物は残っていませんが、昭和45年と平成13年から16年にかけて行われた発掘調査によって、飛鳥時代の後半には本格的な金堂が建てられ、奈良時代には2基の塔が建てられたことがわかっています。また、塔の基壇は丁寧に四角く切られた板石で囲われていたことがわかりました。これは興福寺(こうふくじ)など、このころ都のあった奈良県の大きなお寺で見られるものと同じで、当時はとても立派な寺だったと考えられます。

見つかった基壇 出土した瓦
 塔の基壇。中央に見えるのが基壇を囲う板石の一部です。(岡山市教育委員会提供)  寺が建てられたころの瓦。素弁八葉蓮華文(そべんはちようれんげもん)というきれいな模様が見えます。(岡山市教育委員会提供)
現在の賞田廃寺跡
 現在、賞田廃寺跡は整備されて公園になっており、自由に見学ができます。金堂や塔などの基壇が復元されています。
いってみよう
・JR高島駅から徒歩40分、JR岡山駅東口から両備バス「国府市場西バス停」から徒歩20分
関連リンク
・古代吉備を探る「寺院の建立」

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楯築(たてつき)遺跡 倉敷市矢部・同日畑

 楯築遺跡は、弥生時代後期<約1,800年前>の大きなお墓です。遺体を埋めた丸い丘に、方形の張り出しを2つ付けた形をしています。残念ながら、張りだしの一つは工事によって失われてしまいましたが、失われる前の墳丘の大きさは80m前後あり、これまでにわかっている弥生時代のお墓では日本一の大きさです。
 楯築遺跡が築かれたのは、「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に書かれた邪馬台国(やまたいこく)があったとされるころです。この遺跡に埋葬(まいそう)された人は女王卑弥呼(ひみこ)のように力のある人物で、吉備地方全体の支配者だったのかもしれません。

楯築遺跡出土の特殊器台 現在の楯築遺跡の様子
 遺跡の上には、およそ2mもある大きな石が立った状態でいくつも置かれており、神秘的に感じられます。
出土した弧帯石
 楯築遺跡から出土した特殊器台(とくしゅきだい)。(岡山大学所蔵)  楯築遺跡から出土した文様の刻まれた石。弧帯石(こたいせき)と言います。ほぼ同じものが近くの神社で祭られています。(岡山大学所蔵)
いってみよう
・JR岡山駅西口から岡電バス「庄新町バス停」下車、北へ徒歩約15分。山陽自動車道倉敷ICから車で約25分。
関連リンク
・古代吉備を探る「特殊な壺と器台」
・子どもホームページ「特殊器台・特殊壺(とくしゅきだい・とくしゅつぼ)」

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造山(つくりやま)古墳 岡山市新庄下

   造山古墳は、空から見おろすと円と台形がくっついたような形をしている「前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)」です。つくられたのは5世紀のはじめごろ<今からおよそ1,600年前>で、この時代には各地の豪族(ごうぞく)が競って大きな古墳をつくりました。造山古墳はおよそ360mの長さで、岡山では最大、日本全国でも第4位の大きさです。同時期の大阪府(おおさかふ)石津ヶ丘古墳(いしづがおかこふん)とほぼ同じ大きさと形をしていますから、このころの近畿地方(きんきちほう)の王と同じくらい力をもった豪族が、岡山にもいたと言えるでしょう。
 造山古墳の発掘調査は行われていませんが、表面から埴輪(はにわ)のかけらが多く発見されていますので、古墳がつくられた当時はさまざまな埴輪が立ち並んでいたと考えられます。

造山古墳
 空から見た造山古墳。左側が前方部で右側が後円部です。前方部上には今でも石棺(せっかん)が残っていて、見学することができます。また、まわりにも6基の古墳があり造山古墳にともなうものとされています。
いってみよう
・JR吉備線備中高松駅より車で5分。
・この古墳の近くには、次に紹介する作山古墳、こうもり塚古墳をはじめとする「吉備路風土記の丘県立自然公園(きびじふどきのおかけんりつしぜんこうえん)」があります。
関連リンク
・古代吉備を探る「巨大古墳の築造」

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作山古墳(つくりやまこふん)総社市三須

 作山古墳は、造山古墳と同じく「つくりやまこふん」と読みます。造山古墳の西約2kmのところにあります。この古墳も巨大な前方後円墳で、およそ286mの長さがあります。岡山では造山古墳に次いで第2位、日本全国では第9位の大きさです。つくられた時代は、5世紀の中ごろ<今から1,550年ほど前>で、造山古墳に葬(ほうむ)られた人物に続いてこの地方をおさめた豪族の墓でしょう。
 作山古墳も本格的な発掘調査は行われていません。しかし、円筒埴輪(えんとうはにわ)が多く並べられていたことがわかっています。

作山古墳
 空から見た作山古墳。この古墳は残りがよく、段築(だんちく)や造り出し(つくりだし)など古墳の形がよくわかります。
いってみよう
・JR総社駅から総社バスで「サンロード吉備路バス停」下車徒歩10分。 関連リンク
・古代吉備を探る「巨大古墳の築造」

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津雲(つくも)貝塚 笠岡市西大島

 津雲貝塚は、笠岡市西大島の山すそにある縄文(じょうもん)時代終わりごろ<約3,500年前>の貝塚です。貝塚とは、当時の人々が食べた貝の貝がらや動物の骨、こわれた土器や石器などを捨てた場所のことをいいます。
 この貝塚からは貝がらや土器以外にも、全部で170体近い大量の人骨が見つかっています。このうち大人の骨では、前歯が何本かぬけていることがわかりました。当時は成人式など、人生の節目に当たる年齢で歯をぬく風習があったと考えられています。麻酔(ますい)もなしに歯をぬくなんてとてもこわい風習ですが、その痛みをがまんすることで大人の仲間入りを果たす、大切な風習だったのでしょう。

津雲貝塚の様子 見つかった人骨
 現在、津雲貝塚には案内の看板が立っています  右手に7個、左手に8個のブレスレットをつけた女性の人骨。(笠岡市教育委員会提供)
いってみよう
・JR笠岡駅から井笠バス「大島小学校前」バス停で下車、徒歩5分。

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津島(つしま)遺跡 岡山市いずみ町

 国の史跡である津島遺跡は、岡山県総合(そうごう)グラウンドとその周辺に広がる縄文時代後期<約4,000年前>から近代(きんだい)にかけての複合(ふくごう)遺跡です。これまでに何度か発掘調査が行われていて、弥生(やよい)時代前期<約2,300年前>の水田(すいでん)や弥生時代中期から古墳時代後期<約2,200年前から約1,400年前>の人々が暮らした80軒以上の住居跡(じゅうきょあと)や生活に使ったたくさんの土器などが見つかっています。

津島遺跡の調査風景 川から見つかった建物の部品
 カンコースタジアムのメインスタンド部分の発掘調査。古墳時代の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)を調査しているところです。  弥生時代後期の川から見つかった木製品(もくせいひん)。掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)を建築するための木材です。
見つかった水田 弥生土器のいろいろ
 弥生時代前期の水田。このころから本格的(ほんかくてき)な米づくりがはじまりました。  遺跡から出土した弥生時代の土器。使い方に合わせて形がちがいます。
いってみよう
・JR岡山駅西口から北へ1.5km。徒歩約20分、バス約3分<「スポーツセンター前」下車>。山陽自動車道岡山I.Cから車で約10分。
・津島遺跡には「遺跡&スポーツミュージアム」があります。津島遺跡の発掘調査で見つかった出土品、調査の様子のわかる写真パネル、映像などを見ることができます。
関連リンク
・遺跡&スポーツミュージアム

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沼(ぬま)遺跡 津山市沼

 津山市街地の北にある、弥生時代中期終わりごろ<約2,100年前>の村のあとです。発掘したところ、村の中心となる大きな竪穴住居(たてあなじゅうきょ)のほか、やや小さな住居と、倉庫などの建物があったことがわかりました。
 現在、沼遺跡は村の様子が発掘によって明らかにされた例として遺跡公園として整備されており、もとの形を想像してつくられた竪穴住居などを見学することができます。

復元された竪穴住居
 沼遺跡の復元された竪穴住居。遺跡は市街地を見下ろす丘の上にあります。
いってみよう
・JR津山線津山駅前から中鉄バス「沼住居跡入り口」バス停下車、徒歩約5分。中国縦貫道津山ICから車で約20分。
・遺跡の近くには津山弥生の里文化財センターがあり、弥生時代の生活の様子がわかりやすく展示されています。

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彦崎(ひこさき)貝塚 岡山市灘崎町彦崎

 彦崎貝塚ではこれまでに何度か発掘調査がおこなわれ、縄文時代前期<約6,000年前>には約100mの範囲に及ぶ、西日本最大の貝塚がつくられ、縄文時代晩期<約3,000年前>まで続いていることがわかりました。 この彦崎貝塚では貝がらや動物の骨などといっしょに、土器や石器のなど多くのものが残っていました。他にも貝や骨でつくった腕輪(うでわ)やペンダントなどの装飾品(そうしょくひん)も見つかっています。また、たくさんのお墓とともに人骨が多く見つかっています。

上から見た彦崎貝塚
 現在の彦崎貝塚を上から見たところ。彦崎貝塚は写真中央あたりにあります。(岡山市教育委員会提供)
縄文時代の墓 イノシシの牙でできたペンダント
 縄文時代中期<約5000年前>の丸く掘られたお墓。葬(ほうむ)られていたのは女性でした。(岡山市教育委会提供) イノシシの牙でつくられたペンダント
(岡山市教育委員会提供)
いってみよう
・JR宇野線彦崎駅から徒歩5分

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備中国分寺(びっちゅうこくぶんじ)・国分尼寺(こくぶんにじ)跡 総社市上林

 国分寺・国分尼寺は、「仏教の教えにより国をまもり、平和な世の中へ」との願いから、天平13(741)年、聖武天皇(しょうむてんのう)の命により日本諸国に建てられました。 「吉備路風土記の丘県立自然公園」内にある備中国分寺・国分尼寺は、寺が建てられた当時の建物はありませんが、所々に残る礎石(そせき)あるいは塀(へい)の跡などから、古代のきらびやかな大寺院を想像することができます。

現在の備中国分寺跡の様子
 春の備中国分寺跡。現在建っている日照山国分寺は、享保2(1717)年に再建されたものです。五重塔は吉備路風土記の丘のシンボルとして有名です。
上から見た備中国分寺跡・国分尼寺跡の様子
 空から見た備中国分寺・国分尼寺跡の周りの様子。近くにはこうもり塚古墳などがあります。
いってみよう
・JR総社駅から総社バスで「国分寺(こくぶんじ)バス停」下車徒歩5分。あるいは県営国分寺北駐車場から徒歩5分。
関連リンク
・子どもホームページ「こうもり塚古墳」
・古代吉備を探る2「屋根の上から睨みをきかす」

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百間川(ひゃっけんがわ)遺跡群 岡山市原尾島ほか

 百間川は、江戸時代に岡山城下を旭川の洪水から守るために造られた人工の河川です。その改修工事に伴い、河川敷(かせんじき)内にある遺跡の発掘調査を行いました。見つかった遺跡は上流から順に、百間川二の荒手(にのあらて)遺跡、百間川原尾島(はらおじま)遺跡、百間川沢田(さわだ)遺跡、百間川兼基・今谷(かねもと・いまだに)遺跡、百間川米田(よねだ)遺跡です。
 この遺跡群では、縄文時代後期から江戸時代までの人々の生活の様子が明らかになりました。特に、弥生時代後期の終わりごろ<約1,800年前>に起きた、洪水の砂で埋まった水田や集落の発見は全国的に有名です。

空から見た百間川原尾島遺跡
 百間川原尾島遺跡の弥生時代後期の集落と水田。竪穴住居の中には、直径が10mを超える大形のものや、住居の周りに溝を巡らすものがあります。また、写真中央の水路とその右側に広がる水田は、弥生時代後期の終わり頃の洪水の砂で埋まっていました。
たくさん見つかった土器 調査中の橋
 百間川兼基遺跡出土の弥生時代中期の土器。1つの穴から約200個が見つかりまし た。大形品の高さは60cm前後です。  百間川米田遺跡の鎌倉時代から江戸時代 の橋。全長約40m、幅3m前後の大形橋で、 発掘調査では基礎部分が見つかりました。
いってみよう
・現在、百間川遺跡群を見学することはできませんが、河川敷をゆっくり散歩して当時の様子を想像してみてください。なお、百間川原尾島遺跡はJR岡山駅東口から宇野バス「藤原」バス停下車、西へ徒歩約10分。山陽自動車道岡山ICから車で約25分。
関連リンク
・古代吉備を探る「広がる弥生水田」

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万富東大寺瓦窯(まんとみとうだいじかわらがま)跡 岡山市瀬戸町万富

   奈良の東大寺は大仏で有名ですが、平安時代の終わり<約800年前>に平家(へいけ)によってほとんどの建物が焼かれてしまいました。俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)という僧が、再建費用を集める大勧進職(だいかんじんしき)に任命され、活動を始めました。岡山県東南部の備前国(びぜんのくに)は、その国税を再建費用にあてる造営料国(ぞうえいりょうごく)の一つとされ、重源は備前国でさまざまな活動を行いました。万富東大寺瓦窯跡は東大寺の再建に使用する屋根瓦を大量に生産した窯跡です。
 遺跡は南北方向に延びた丘陵の西側斜面にあって、現在は高さ2mほどの段差をもつ2面の平坦地(へいたんち)になっています。昭和54年と平成13・14年に磁気探査(じきたんさ)と発掘調査(はっくつちょうさ)が行われ、上の平坦地で14基の瓦窯が見つかりました。ほかに、工房(こうぼう)や管理棟(かんりとう)の可能性がある竪穴遺構(たてあないこう)や建物跡なども見つかりました。

遺跡を南西から見た写真 畑の開墾で削られた崖
 遺跡を南西から見た写真です。大寺山と呼ばれる丘の西側にある二段の平坦面(以前は畑だった)が遺跡です。  畑の開墾(かいこん)で削られた崖(がけ)です。むかしはここに瓦窯の切断面がのぞいていたそうです。
瓦窯 東大寺瓦
 発掘調査でみつかった瓦窯です。これは瓦を焼く部屋で、この左側にはまきを焼く部屋がありました。中央にある2本の土手の両側を炎が上がり、瓦を焼き固めます。  焼かれた瓦です。瓦のまん中あたりに「東大寺大佛殿(とうだいじだいぶつでん)」の文字が見えます。
いってみよう
・JR山陽線万富駅下車、北東へ徒歩約10分。山陽自動車道山陽ICから車で約15分。

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四ツ塚(よつづか)古墳群 真庭市上長田・同四ツ塚

   蒜山高原(ひるぜんこうげん)の東寄りに位置する、19基からなる古墳群で、16基が現存します。中でも4基が特別大きかったことから、“四ツ塚”と呼ばれるようになりました。このうち1号墳と13号墳の2基について、発掘調査が行われています。調査の結果、2基とも6世紀の中頃(約1,450年前)につくられたことがわかりました。
   1号墳は直径27mの円い古墳で、横から出入りできる横穴式石室がつくられています。石室からは土器や武器などの鉄製品、アクセサリーが出土しています。 四ツ塚13号墳は、直径19mの円い古墳です。古墳の頂上で、木棺(もっかん)を埋葬(まいそう)した痕跡(こんせき)が2か所見つかりました。ここで土器や青銅製の鏡、武器などの鉄製品が見つかっています。また、古墳の周囲には埴輪が並べられていました。埴輪には馬や鶏、家などがあります。

四つ塚古墳群全景
四ツ塚古墳群の風景(真庭市教育委員会提供)
1号墳横穴式石室の入り口 1号墳の横穴式石室
四ツ塚1号墳横穴式石室の入り口
(真庭市教育委員会提供)
四ツ塚1号墳の横穴式石室
(真庭市教育委員会提供)
馬形埴輪 出土した鏡
四ツ塚13号墳出土の馬形埴輪
(真庭市教育委員会提供)
四ツ塚13号墳出土の鏡
(真庭市教育委員会提供)
いってみよう
・米子自動車道蒜山I.Cから車で約20分。
・現在、四ツ塚古墳群は「四ツ塚史跡公園」として整備されています。古墳の間には遊歩道が整備され、自由に散策できます。古墳の近くには「蒜山郷土博物館」があり、13号墳から出土した遺物などが展示されています。

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両宮山(りょうぐうざん)古墳 赤磐市穂崎

 両宮山古墳は5世紀後半<約1,500年前>につくられた大きな「前方後円墳」です。長さはおよそ194mもあり、岡山県内では造山古墳や作山古墳についで、第3位の大きさです。
 この古墳のまわりには、今でも水のたまった濠(ほり)が一部残っています。ところが最近の発掘調査で、この濠の外にもう一つ濠があることがわかりました。この古墳は2重の濠に囲まれていたようです。
 近畿地方の大王のお墓とされる古墳にも濠が見られます。この両宮山古墳をつくった豪族は、大王と近い関係にあったのかもしれません。

空から見た両宮山古墳 発掘調査で見つかった濠
 空から見た両宮山古墳。古墳の周りにあるのが濠です。(赤磐市教育委員会提供)  発掘調査で新たに見つかった濠の様子。黒い土で埋まっています。(赤磐市教育委員会提供)
いってみよう
・JR岡山駅東口から宇野バス「岩田」バス停下車、北へ徒歩約5分。山陽自動車道山陽ICから車で約15分。
関連リンク
・古代吉備を探る「巨大古墳の築造」
・古代吉備を探る2「「吉備の反乱」伝承を考える」

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