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年表

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栢寺(かやでら)廃寺跡 総社市南溝手

 白鳳時代<約1,300年前>に総社平野のほぼ中央部に建てられた寺です。当時、このあたりにいた賀夜氏(かやし)という有力な豪族の寺とも言われています。賀夜寺跡、南溝手廃寺、加夜廃寺、門満寺など様々な呼び名がありましたが、小字名をもとに現在の遺跡名になりました。
 発掘調査は昭和52年から翌年にかけて、さらに史跡整備のため昭和63年に実施されました。建物の配置やお寺の領域ははっきりしませんでしたが、塔の基壇の様子が明らかになりました。塔基壇は外側を花崗岩の延石〈のべいし〉で囲み、その内側に平瓦を立てる、瓦積塔基壇〈かわらづみとうきだん〉と判明しました。塔の中心柱を支えた礎石〈そせき〉の塔心礎〈とうしんそ〉は見つかりませんでしたが、それを抜き取った跡の穴は確認できました。塔心礎と考えられる石は、長さ2.5m、幅2.3m、厚さ2.4mほどの巨岩で、現在は江戸時代に境内に建立された石製五重塔を支えています。
 現在は塔基壇が整備されており、当時の面影を見学することができます。また、塔心礎とその上に立つ江戸時代の石製五重塔も見学できます。

見つかった基壇 塔心礎の抜き取り穴
 塔の基壇。2段積みの延石が基壇を区画していました。  塔心礎の抜き取り穴。
復元された基壇 塔礎石と石製五重塔
 復元された塔基壇の様子。自由に見学することができます。  塔心礎に立つ江戸時代の石製五重塔。こちらも自由に見学できます。

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賞田(しょうだ)廃寺跡 岡山市中区賞田

 飛鳥時代<約1,350年前>に建てられた寺で、岡山市街地の東側、龍ノ口山のふもとにあります。当時、このあたりにいた上道氏(かみつみちし)という有力な豪族の寺だと言われています。
 現在、寺の建物は残っていませんが、昭和45年と平成13年から16年にかけて行われた発掘調査によって、飛鳥時代の後半には本格的な金堂が建てられ、奈良時代には2基の塔が建てられたことがわかっています。また、塔の基壇は丁寧に四角く切られた板石で囲われていたことがわかりました。これは興福寺(こうふくじ)など、このころ都のあった奈良県の大きなお寺で見られるものと同じで、当時はとても立派な寺だったと考えられます。

見つかった基壇 出土した瓦
 塔の基壇。中央に見えるのが基壇を囲う板石の一部です。(岡山市教育委員会提供)  寺が建てられたころの瓦。素弁八葉蓮華文(そべんはちようれんげもん)というきれいな模様が見えます。(岡山市教育委員会提供)
現在の賞田廃寺跡
 現在、賞田廃寺跡は整備されて公園になっており、自由に見学ができます。金堂や塔などの基壇が復元されています。
いってみよう
・JR高島駅から徒歩40分、JR岡山駅東口から両備バス「国府市場西バス停」下車、徒歩20分
関連リンク
・古代吉備を探る「寺院の建立」
・古代吉備を探る2「屋根の上から睨みをきかす」

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幡多(はた)廃寺塔跡 岡山市中区赤田

 旭川の東岸平野にあり、7世紀末頃に建てられたお寺です。現在は住宅街に塔(とう)心礎(しんそ)が残っています。この心礎は花崗岩(かこうがん)で造られていて、長軸約2.8m・短軸約2.4mを測る岡山県では最も大きいものです。中央には円形の窪みが2段に掘られていて、上段には塔の中心となる直径88cmの柱〔心柱(しんばしら)〕を建て、下段には釈迦(しゃか)の骨を模した水晶や真珠等を納めていたようです。
 昭和47〜48年と昭和63〜平成元年に発掘調査が行われ、塔以外の金堂(こんどう)講堂(こうどう)、門と思われる建物の位置が推定されています。また出土した多量の瓦から、平安時代末<約800年前>まで存続していたこと、賞田廃寺など近隣にあるお寺との関係が深く、この地域を治めていた古代豪族である上道氏(かみつみちし)との関連がうかがえます。

塔断面のイメージ図
 塔断面のイメージ図
塔 心礎
 塔 心礎
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・JR高島駅から徒歩10分
関連リンク
・古代吉備を探る「寺院の建立」

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備前国分寺(びぜんこくぶんじ)跡・国分尼寺(こくぶんにじ)跡 赤磐市馬屋

 国分寺・国分尼寺は、「仏教の教えにより国をまもり、平和な世の中へ」との願いから、天平13(741)年、聖武天皇(しょうむてんのう)の命によって全国60余国ごとに建立されました。現在、備前国分寺の寺院建物は残っていませんが、金堂や講堂、塔、回廊などの発掘調査が行われて、建物の配置などが判明しています。平成21・22年度には、発掘調査成果を基に塔の基壇部分の整備工事が行われました。この場所には鎌倉時代に作られた高さ3mほどの七重層塔が建っていますが、創建当時は高さ60m以上の塔が立っていたと想定されています。なお、古代山陽道を挟んで国分寺の南側約300mには備前国分尼寺が位置すると考えられています。
金堂の礎石 講堂の跡
 金堂。中央に見えるのが金堂を支える礎石です。(赤磐市教育委員会提供)  講堂全景。ここで経典の講義や説教などが行われていました。(赤磐市教育委員会提供)
回廊の屋根瓦 復元された塔基壇
 回廊の屋根瓦が倒壊した状況です。(赤磐市教育委員会提供)  復元された塔基壇。中央に立っている七重層塔(高さ約3m)は、鎌倉時代のものです。(赤磐市教育委員会提供)
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・JR岡山駅東口から宇野バス「新道穂崎下バス停」下車、徒歩6分
関連リンク
・古代吉備を探る「寺院の建立」
・古代吉備を探る2「屋根の上から睨みをきかす」

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備中国分寺(びっちゅうこくぶんじ)・国分尼寺(こくぶんにじ)跡 総社市上林

 国分寺・国分尼寺は、「仏教の教えにより国をまもり、平和な世の中へ」との願いから、天平13(741)年、聖武天皇(しょうむてんのう)の命により日本諸国に建てられました。 「吉備路風土記の丘県立自然公園」内にある備中国分寺・国分尼寺は、寺が建てられた当時の建物はありませんが、所々に残る礎石(そせき)あるいは塀(へい)の跡などから、古代のきらびやかな大寺院を想像することができます。

現在の備中国分寺跡の様子
 春の備中国分寺跡。現在建っている日照山国分寺は、享保2(1717)年に再建されたものです。五重塔は吉備路風土記の丘のシンボルとして有名です。
上から見た備中国分寺跡・国分尼寺跡の様子
 空から見た備中国分寺・国分尼寺跡の周りの様子。近くにはこうもり塚古墳などがあります。
いってみよう
・JR総社駅から総社バスで「国分寺(こくぶんじ)バス停」下車、徒歩5分。あるいは県営国分寺北駐車場から徒歩5分。
関連リンク
・子どもホームページ「こうもり塚古墳」
・古代吉備を探る「寺院の建立」
・古代吉備を探る2「屋根の上から睨みをきかす」

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美作国分寺(みまさかこくぶんじ)跡 津山市国分寺

 和銅6(713)年、備前国から分かれて美作国が設けられました。現在の津山市街地の北西部には国の役所(=国府)が置かれ、美作国分寺は、国府の南東約4qの場所に、奈良時代の中頃に建てられました。
 国分寺は、災害をしずめたり、国内の平安を願ったりするために仏に祈る場所として、奈良時代に国分尼寺と一緒に全国に建てられました。
 津山市教育委員会では、昭和52〜54年に国分寺推定地区で発掘調査を行いました。その結果、金堂、講堂、塔、門、建物をつなぐ廊下(=回廊〈かいろう〉)などが確認され、奈良時代の国分寺の様子がわかってきました。
 また、土の中からは当時の人たちが使っていた土器や鏡などの道具、屋根の上に葺(ふ)かれていて瓦がたくさん出土しました。
 出土品の形や瓦の文様の特徴から、奈良時代(8世紀中頃)から平安時代の終わり(12世紀中頃)までの約400年の長きにわたってお寺は使われていたようです。

遺跡全景 瓦の出土状況
 丸い川原石を使って造られた金堂基壇
(津山市教育委員会提供)
 南門の近くで見つかった建物に使われていた瓦が出土した様子(津山市教育委員会提供)
礎石 複弁八弁蓮華文軒丸瓦
 龍寿山国分寺境内に置かれた礎石〈そせき〉。矢印部分に丸く柱座が彫られています。  最初に建てられた時に屋根に置かれた瓦(複弁八弁蓮華文軒丸瓦〈ふくべんはちべんれんげもんのきまるがわら〉)(津山郷土博物館提供)
均整唐草文軒平瓦
 最初に建てられた時に屋根に置かれた瓦(均整唐草文軒平瓦〈きんせいからくさもんのきひらがわら〉) (津山郷土博物館)
いってみよう
・JR因美線東津山駅より徒歩20分
関連リンク
・古代吉備を探る「寺院の建立」
・古代吉備を探る2「屋根の上から睨みをきかす」

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熊山(くまやま)遺跡 赤磐市奥吉原

 熊山遺跡は、熊山山頂近くにつくられた石積遺構(いしづみいこう)です。奈良時代<約1,250年前>のものとされ、仏教に関係のある施設〔仏塔(ぶっとう)〕と考えられています。遺跡は岩盤上に一辺約11.7mの方形基壇を割石で築いた後、その上に方形三段の割石積みでつくられています。全体の高さは約3.5mあります。
 石積中段の4側面には、仏像や仏具を納めたとされる龕(がん)とよばれる横穴がみられます。また、上段の天井部には深さ約2mの竪穴がつくられています。この竪穴からは高さ1.6mの陶製筒形容器(とうせいつつがたようき)と三彩小壺(さんさいこつぼ)や経典と思われる文字が記された巻物が納められていたと伝えられています。

遺跡全景 仏像や仏具を納める龕
 遺跡全景。方形基壇の上に方形三段の石積みでつくられています。  石積中段の北側面の龕(がん)。仏像や仏具などを納めたとされます。
陶製筒形容器
 陶製筒形容器 天理大学附属天理参考館蔵(天理大学附属天理参考館提供)
いってみよう
・熊山山頂駐車場より徒歩15分

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