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年表

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鷲羽山(わしゅうざん)遺跡 倉敷市大畠

 瀬戸内海を見おろす高台にある鷲羽山遺跡は、西日本ではじめて、旧石器時代(きゅうせっきじだい)<約35,000から18,000年前>の人々が暮らしていたことが確かめられたことで知られています。  
 旧石器時代は、石や木、骨などで作った道具を使って狩りなどをしてくらしていました。鷲羽山遺跡で見つかった石の道具(石器)には、香川県のサヌカイトという石が使われていました。サヌカイトはかたくて、するどく割れるため、石器の材料に適していました。  
 当時の海水面は現在よりも100m以上も低く、瀬戸内海は湖ほどの大きさであったと考えられます。そのため香川県とは陸続きで、旧石器時代の人々は歩いて行き来してサヌカイトを手に入れたようです。

鷲羽山遺跡の様子 2つの石器
 赤で囲まれた部分が鷲羽山遺跡の範囲です。遠くにうっすらと香川県が見えます。  鷲羽山遺跡で見つかった石器
いってみよう
・JR瀬戸大橋線児島駅から下津井電鉄バス「ユースホテル前」バス停下車。
・瀬戸内自動車道児島ICから車で約10分南下。
*ユースホテル前バス停付近が遺跡の所在地です。
関連リンク
・古代吉備を探る「降り積もる火山灰と石器 ナウマン象を追う狩人」
・古代吉備を探る2「石は物語る」

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恩原(おんばら)遺跡群 鏡野町上斎原恩原

 恩原遺跡群は中国山地の恩原湖のまわりにある旧石器時代(きゅうせっきじだい)<約35,000から13,000年前>の遺跡群で、一部が岡山大学考古学研究室によって調査されました。
 旧石器時代の人々は、えものとなるシカなどを追って移動しながら生活していました。恩原遺跡群では狩りに必要な石器(せっき)をつくった場所や、調理のため石を集めてつくった炉跡(ろあと)が見つかっています。今はダムができて湖となっていますが、もとは川の近い場所にあり、旧石器時代の狩人(かりうど)は水を飲みに来た動物をねらっていたのかもしれません。

調査中の恩原遺跡
恩原遺跡群の発掘調査の様子(昭和63年頃)
ナイフ形石器 細石刃や彫刻刀形石器
 約15,000年前のナイフ形石器石器。ものを切るために使います。サヌカイトという安山岩(左)や黒曜石(右)でできています。(岡山大学文学部考古学研究室提供)  約13,000年前の石器。当時の人々は動物を捕るために細石刃(さいせきじん、左上)という小さな石器や、木や骨をけずるために彫刻刀(ちょうこくとう)形の石器(右)を使っていました。また、細石刃は細石核(さいせきかく、左下)を打ちかいてつくりました。(岡山大学文学部考古学研究室提供)
いってみよう
・中国自動車道院庄ICから車で国道179号線を約30分北上、国道482号線へ入り約15分。
関連リンク
・古代吉備を探る「降り積もる火山灰と石器 ナウマン象を追う狩人」
・古代吉備を探る2「石は物語る」

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津島(つしま)遺跡 岡山市北区いずみ町

 津島遺跡は、岡山県総合(そうごう)グラウンドとその周辺に広がる弥生(やよい)時代<約2,500〜1,800年前>を中心としたムラの跡です。1968年の調査では、米づくりが始まった弥生時代前期<約2,500年前>のムラと田んぼの跡がとなりあって見つかり、全国で初めての例としてたいへん注目を集めました。その後も発掘調査が行われていて、人々が暮らした家や建物の跡が生活の道具と一緒に見つかっています。総合グラウンドには当時の建物が復元されており、弥生時代のムラのようすを知ることができます。

復元された建物と住居 川から見つかった建物の部品
 岡山県総合グラウンドに復元されている弥生時代の建物と住居  弥生時代の川の跡から見つかった建物の木材。建物に使ったものです。
見つかった水田 弥生土器のいろいろ
 弥生時代前期の水田。このころから本格的(ほんかくてき)な米づくりがはじまりました。  遺跡から出土した弥生時代の土器。使い方に合わせて形がちがいます。
いってみよう
・JR岡山駅西口から北へ1.5km。徒歩約20分、バス約3分<「スポーツセンター前」下車>。山陽自動車道岡山I.Cから車で約10分。
・津島遺跡には「遺跡&スポーツミュージアム」があります。津島遺跡の発掘調査で見つかった出土品、調査の様子のわかる写真パネル、映像などを見ることができます。
関連リンク
・古代吉備を探る「ひろがる弥生水田」
・古代吉備を探る「弥生住居と集落」

・遺跡&スポーツミュージアム

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百間川(ひゃっけんがわ)遺跡群 岡山市中区原尾島ほか

 百間川遺跡群は、百間川の河川敷(かせんじき)とその周辺に広がるムラの跡です。1970年代から長年にわたって行われた発掘調査で、縄文時代後期<約3,000年前>から室町時代<約500年前>までの人々の生活の様子が明らかになりました。特に、弥生時代の終わりごろ<約1,800年前>に起きた洪水で埋まった田んぼの発見は全国的に有名です。

空から見た百間川原尾島遺跡
 百間川原尾島(はらおじま)遺跡の弥生時代後期のムラと田んぼ。写真中央の水路とその右側に広がる田んぼは、弥生時代後期の終わり頃の洪水の砂で埋まっていました。
たくさん見つかった土器 現在の百間川河川敷
 百間川兼基(かねもと)遺跡出土の弥生時代中期<約2,000年前>の土器。1つの穴からいろいろな種類の土器が約200個も見つかりまし た。  現在の百間川河川敷のようす(百間川沢田遺跡)。発掘で見つかった住居や柱の跡などが復元されています。
いってみよう
・百間川沢田遺跡へはJR岡山駅東口から宇野バス「藤原」バス停下車、南へ徒歩約10分。山陽自動車道岡山ICから車で約25分。
関連リンク
・古代吉備を探る「ひろがる弥生水田」
・古代吉備を探る「弥生住居と集落」

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貝殻山(かいがらやま)遺跡 岡山市南区宮浦

 児島半島の北東端、岡山市と玉野市をまたぐ山頂に貝殻山があります。瀬戸内海国立公園内にあり、瀬戸内海を望む絶景ポイントとして知られ、夜景スポットとしても人気のようです。が、ここに2,000年以上も前の弥生人のムラがあったことを知っていましたか?
 1973年と1976年に岡山大学考古学研究室によって発掘調査が行われ、弥生時代中頃<約2,000年前>の竪穴住居と貝塚が見つかり、壺や甕、石包丁、鉄の矢じりなどが出土しました。貝塚の一部は地表に表れていて、これが山の名前の由来ともなっています。
 このような高所に営まれたムラのことを高地性集落〈こうちせいしゅうらく〉と呼び、普通の農村ではなく、特殊なムラだと考えられています。弥生時代の児島は、まだ海に浮かぶ島でした。そして児島を取り巻く海は人の移動やさまざまな者を運ぶための重要な航路でした。児島を取り巻く一帯が一望でき、海を行き交う舟や人々を見張る役割があったのではないかと考えられています。

現在の貝殻山遺跡 ピクニックにも最適
 貝殻山遺跡の現在の様子。  芝生が張られ、桜も植えられています。ピクニックにも最適!
いってみよう
・瀬戸内自動車道早島ICから車で西へ約70分。
関連リンク
・古代吉備を探る「弥生集落と住居」

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沼(ぬま)遺跡 津山市沼

 津山市街地の北にある、弥生時代中期終わりごろ<約2,100年前>の村のあとです。発掘したところ、村の中心となる大きな竪穴住居(たてあなじゅうきょ)のほか、やや小さな住居と、倉庫などの建物があったことがわかりました。
 現在、沼遺跡は村の様子が発掘によって明らかにされた例として遺跡公園として整備されており、もとの形を想像してつくられた竪穴住居などを見学することができます。

復元された竪穴住居
 沼遺跡の復元された竪穴住居。遺跡は市街地を見下ろす丘の上にあります。
いってみよう
・JR津山線津山駅前から中鉄バス「沼住居跡入り口」バス停下車、徒歩約5分。中国縦貫道津山ICから車で約20分。
・遺跡の近くには津山弥生の里文化財センターがあり、弥生時代の生活の様子がわかりやすく展示されています。
関連リンク
・古代吉備を探る「弥生住居と集落」

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