センタートップ > こどもホームページトップ > 遺跡紹介コーナー 〈墓〉 

年表

年表

しらべてみよう!


中山茶臼山(なかやまちゃうすやま)古墳 岡山市北区西花尻

 中山茶臼山古墳は、吉備津神社(きびつじんじゃ)・吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)の南背後の吉備中山(きびのなかやま)山頂に位置する4世紀前半<約1,650年前>につくられたとされる「前方後円墳」です。長さはおよそ105m、高さ11mで、外表には葺石(ふきいし)が認められます。
 この古墳は、明治7(1874)年に大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことぼ)とされ、現在は宮内庁(くないちょう)が管理しています。そのため外周にはフェンスがあって一般の立ち入りはできませんが、拝所や東側フェンスの外側から墳丘を見学することはできます。平成21年には宮内庁陵墓調査室により測量調査が行われ、後円部で埴輪(はにわ)のかけらが採集されています。

拝所からみた中山茶臼山古墳
 拝所から見た古墳
いってみよう
・JR山陽本線庭瀬駅から、北へ徒歩約40分。
・JR吉備線吉備津駅下車25分。
・岡山自動車道岡山総社ICから車で20分。
・山陽自動車道岡山ICから車で30分。
関連リンク
・古代吉備を探る「茶臼山三題」

▲遺跡の表へもどる  

楯築(たてつき)遺跡 倉敷市矢部・同日畑

 楯築遺跡は、弥生時代後期<約1,800年前>の大きなお墓です。遺体を埋めた円い丘の前後に、長方形の張り出しを付けた形をしています。残念ながら、一方の張りだしは工事によって失われてしまいましたが、工事前の墳丘の大きさは80m前後あり、これまでにわかっているこの時期のお墓では日本一の大きさです。
 楯築遺跡が築かれたのは、「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に書かれた邪馬台国(やまたいこく)があったとされるころです。この遺跡に埋葬(まいそう)された人は女王卑弥呼(ひみこ)のように力のある人物で、吉備地方全体の支配者だったのかもしれません。

楯築遺跡出土の特殊器台 現在の楯築遺跡の様子
 遺跡の上には、遺跡の名前の由来となったおよそ2mもある大きな石(キビツヒコノミコトが使った石のタテ)が立ち並んだ状態でいくつも置かれており、神秘的に感じられます。
出土した弧帯石
 楯築遺跡から出土した特殊器台(とくしゅきだい)。(岡山大学所蔵)  楯築遺跡から出土した文様の刻まれた石。弧帯石(こたいせき)と言います。ほぼ同じものが近くの神社で祭られています。(岡山大学所蔵)

▲遺跡の表へもどる

神宮寺山(じんぐうじやま)古墳 岡山市北区北方

 神宮寺山古墳は、4世紀後半から5世紀初め頃<約1,600年前>につくられた前方後円墳です。長さ150m、高さ13mにもおよぶ大きな古墳で、つくられた当時は岡山県内で一、二を争う大きさでした。近くの丘陵には古墳がいくつかありますが、この古墳は平地に築かれた最初の巨大古墳で、ひときわ目を引く存在だったと考えられます。
 現在、古墳の上には神社が建っており、社殿(しゃでん)の下に遺体をほうむるための竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)があります。このほかに副葬品(ふくそうひん)をおさめるための小石室もあり、剣、刀、鎌、斧、のみ、きり、のこぎりなど数多くの武器や道具が見つかりました。

空から見た神宮寺山古墳
 空から見た神宮寺山古墳。右側が後円部、左側が前方部です。現在は住宅や小学校に囲まれており、草木のしげった小さな山のようにも見えます(岡山市教育委員会提供)
神宮寺山古墳への石段 小石室のふた
 古墳の上には天計神社が鎮座しています。神社の石段を上ると後円部の頂上にあがることができます。  神社の北側で、副葬品がおさめられていた小石室の天井石を見ることができます。
いってみよう
・JR法界院駅下車、東へ徒歩約10分
・岡電バス「御野校前」下車、徒歩5分
関連リンク
古代吉備を探る「巨大古墳の築造」

▲遺跡の表へもどる

造山(つくりやま)古墳 岡山市北区新庄下

   造山古墳は、空から見おろすと円と台形がくっついたような形をしている「前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)」です。つくられたのは5世紀のはじめごろ<今からおよそ1,600年前>で、この時代には各地の豪族(ごうぞく)が競って大きな古墳をつくりました。造山古墳はおよそ360mの長さで、岡山では最大、日本全国でも第4位の大きさです。同時期の大阪府(おおさかふ)石津ヶ丘古墳(いしづがおかこふん)とほぼ同じ大きさと形をしていますから、このころの近畿地方(きんきちほう)の王と同じくらい力をもった豪族が、岡山にもいたと言えるでしょう。
 造山古墳の発掘調査は行われていませんが、表面から埴輪(はにわ)のかけらが多く発見されていますので、古墳がつくられた当時はさまざまな埴輪が立ち並んでいたと考えられます。

造山古墳
 空から見た造山古墳。左側が前方部で右側が後円部です。前方部上には今でも石棺(せっかん)が残っていて、見学することができます。また、まわりにも6基の古墳があり造山古墳にともなうものとされています。
いってみよう
・JR吉備線備中高松駅より車で5分。
・この古墳の近くには、次に紹介する作山古墳、こうもり塚古墳をはじめとする「吉備路風土記の丘県立自然公園(きびじふどきのおかけんりつしぜんこうえん)」があります。
関連リンク
・古代吉備を探る「巨大古墳の築造」

・古代吉備を探る2「「吉備の反乱」伝承を考える」

▲遺跡の一覧へ戻る


長福寺裏山(ちょうふくじうらやま)古墳群 笠岡市走出・山口

 長福寺裏山古墳群は、笠岡市北部の丘の上に、5世紀前半(約1,600年前)に相次いで築かれた古墳群です。西から順に、七つ塚古墳群、双つ塚古墳、一つ塚古墳、仙人塚古墳、東塚古墳があります。現在は「かさおか古代の丘スポーツ公園」になっていて、散歩を楽しみながら古墳について学ぶことができます。
 双つ塚古墳は、長さ約60mの前方後円墳です。この古墳群の中で最も大きいだけでなく、岡山県南西部でも有数の大きさで、葬られた人が高い地位にあったことが分かります。仙人塚古墳には、遺体をおさめていた石室が残っており、自由に見学できます。なお、この古墳から明治時代に出土したとされる「短甲」(たんこう)というよろいが、アメリカのメトロポリタン美術館に保存されています。東塚古墳は長さ約50mの前方後円墳で、石室の中から斧や刀などの鉄製品がたくさん出土しました。これらの出土品は笠岡市立郷土館に展示されています。

双つ塚古墳の全景
双つ塚古墳の全景−全長約60mの前方後円墳です。
  
仙人塚古墳の全景 仙人塚古墳の石室 東塚古墳の全景
仙人塚古墳の全景−全長約43mの造り出し付円墳です。
仙人塚古墳の石室
東塚古墳の全景−全長約50mの前方後円墳です。
いってみよう
・JR笠岡駅から井笠バス矢掛方面行き「楠バス停」下車、北へ徒歩約15分。
・山陽自動車道笠岡ICから車で約10分。古代の丘スポーツ公園に駐車場あり。
関連リンク
・古代吉備を探る「巨大古墳の築造」
・古代吉備を探る2「「吉備の反乱」伝承を考える」

▲遺跡の表へもどる


作山古墳(つくりやまこふん)総社市三須

 作山古墳は、造山古墳と同じく「つくりやまこふん」と読みます。造山古墳の西約2kmのところにあります。この古墳も巨大な前方後円墳で、およそ286mの長さがあります。岡山では造山古墳に次いで第2位、日本全国では第9位の大きさです。つくられた時代は、5世紀の中ごろ<今から1,550年ほど前>で、造山古墳に葬(ほうむ)られた人物に続いてこの地方をおさめた豪族の墓でしょう。
 作山古墳も本格的な発掘調査は行われていません。しかし、円筒埴輪(えんとうはにわ)が多く並べられていたことがわかっています。

作山古墳
 空から見た作山古墳。この古墳は残りがよく、段築(だんちく)や造り出し(つくりだし)など古墳の形がよくわかります。
いってみよう
・JR総社駅から総社バスで「サンロード吉備路バス停」下車、徒歩10分。 関連リンク
・古代吉備を探る「巨大古墳の築造」
・古代吉備を探る2「「吉備の反乱」伝承を考える」

▲遺跡の表へもどる

両宮山(りょうぐうざん)古墳 赤磐市穂崎

 両宮山古墳は5世紀後半<約1,550年前>につくられた大きな「前方後円墳」です。長さはおよそ194mもあり、岡山県内では造山古墳や作山古墳についで、第3位の大きさです。
 この古墳のまわりには、今でも水のたまった濠(ほり)が一部残っています。ところが最近の発掘調査で、この濠の外にもう一つ濠があることがわかりました。この古墳は2重の濠に囲まれていたようです。
 近畿地方の大王のお墓とされる古墳にも濠が見られます。この両宮山古墳をつくった豪族は、大王と近い関係にあったのかもしれません。

空から見た両宮山古墳 発掘調査で見つかった濠
 空から見た両宮山古墳。古墳の周りにあるのが濠です。(赤磐市教育委員会提供)  発掘調査で新たに見つかった濠の様子。黒い土で埋まっています。(赤磐市教育委員会提供)
いってみよう
・JR岡山駅東口から宇野バス「岩田」バス停下車、北へ徒歩約5分。山陽自動車道山陽ICから車で約15分。
関連リンク
・古代吉備を探る「巨大古墳の築造」
・古代吉備を探る2「「吉備の反乱」伝承を考える」

▲遺跡の表へもどる  

こうもり塚(こうもりづか)古墳 総社市上林

 こうもり塚古墳は、「吉備路風土記の丘県立自然公園」内にある全長100mの前方後円墳で、6世紀<古墳時代後期、約1500年前>では吉備地方最大の古墳です。この古墳には、横穴式石室(よこあなしきせきしつ)と呼ばれる石組みの部屋があり、南側の入口部分から内部の様子が観察できます。横穴式石室は、通路部分と奥の遺体(いたい)を埋葬(まいそう)する部屋からなり、全体の長さは19.4mです。その大きさは吉備地方の横穴式石室では最も大きく、使われた一番大きな石は重さ10数トンにもなると思われます。石室の中には今も石棺(せっかん)が置かれています。ほかに陶棺や、鉄の釘が出土して いることから木棺(もっかん)も納められたようです。 石室の中からは、大刀(たち)、馬具(ばぐ)、鉄(てつぞく)、ガラス玉、須恵器(すえき)等の品々が見つかっています。そのうちの大刀は装飾付大刀(そうしょくつきたち)とよばれ、身分の高い人<武人か?>が持っていたようです。

こうもり塚古墳全景 石室と石棺 刀の飾り
 北から見た古墳の全景。写真中央の小高い部分が古墳です。横穴式石室は向かって右側にあります。  石室と石棺。石棺は浪形石(なみがたいし)という石でつくられています。井原市の周辺で今でも見つけることができます。  大刀の装飾部分。柄頭(つかがしら)にあたります。鳳凰(ほうおう)をかたどったものです。
いってみよう
・JR総社駅から総社バスで「国分寺(こくぶんじ)バス停」下車、徒歩5分。あるいは県営国分寺北駐車場から徒歩5分。
・付近には、国分寺跡や国分尼寺跡、吉備において最後につくられた前方後円墳と考えられる江崎(えざき)古墳などたくさんの遺跡があります。
関連リンク
・古代吉備を探る「1400年前の墓地事情」

・子どもホームページ「陶棺」
・子どもホームページ「装飾付大刀」

▲遺跡の表へもどる

四ツ塚(よつづか)古墳群 真庭市上長田・同四ツ塚

   蒜山高原(ひるぜんこうげん)の東寄りに位置する、19基からなる古墳群で、16基が現存します。中でも4基が特別大きかったことから、“四ツ塚”と呼ばれるようになりました。このうち1号墳と13号墳の2基について、発掘調査が行われています。調査の結果、2基とも6世紀の中頃〈約1,450年前〉につくられたことがわかりました。
   1号墳は直径27mの円い古墳で、横から出入りできる横穴式石室がつくられています。石室からは土器や武器などの鉄製品、アクセサリーが出土しています。 四ツ塚13号墳は、直径19mの円い古墳です。古墳の頂上で、木棺(もっかん)を埋葬(まいそう)した痕跡(こんせき)が2か所見つかりました。ここで土器や青銅製の鏡、武器などの鉄製品が見つかっています。また、古墳の周囲には埴輪が並べられていました。埴輪には馬や鶏、家などがあります。

四つ塚古墳群全景
四ツ塚古墳群の風景(真庭市教育委員会提供)
1号墳横穴式石室の入り口 1号墳の横穴式石室
四ツ塚1号墳横穴式石室の入り口
(真庭市教育委員会提供)
四ツ塚1号墳の横穴式石室
(真庭市教育委員会提供)
馬形埴輪 出土した鏡
四ツ塚13号墳出土の馬形埴輪
(真庭市教育委員会提供)
四ツ塚13号墳出土の鏡
(真庭市教育委員会提供)
いってみよう
・米子自動車道蒜山I.Cから車で約20分。
・現在、四ツ塚古墳群は「四ツ塚史跡公園」として整備されています。古墳の間には遊歩道が整備され、自由に散策できます。古墳の近くには「蒜山郷土博物館」があり、13号墳から出土した遺物などが展示されています。
関連リンク
・古代吉備を探る「1400年前の墓地事情」

▲遺跡の表へもどる

大谷・定(おおや・さだ)古墳群 真庭市中津井

 大谷・定古墳群は、飛鳥(あすか)時代<7世紀>に相次いでつくられた6つの古墳です。飛鳥時代は、古墳がつくられた時代でも終わりに近く、古墳の大きさも小さくなり、数も減っていきます。そのような中で、古墳のまわりに石をきれいにならべた四角い方墳(ほうふん)がつくられるようになります。
 大谷・定古墳群では、このようなひときわ目をひく方墳が6基も集中してつくられています。 どの古墳にも横穴式石室(よこあなしきせきしつ)があります。中でも定北(さだきた)古墳と大谷1号墳の石室は、石を丁寧(ていねい)に加工し、きれいに積み上げています。「切石積み(きりいしづみ)」と呼ばれる石室ですが、県内でも3つしかない珍しいものです。
 また、豪華(ごうか)な副葬(ふくそう)品も見つかっていて、大谷1号墳からは全体を金でかざった装飾付大刀(そうしょくつきたち)が出土しています。

復元された大谷1号墳
 復元された大谷1号墳。階段状に石を並べた方墳で、一辺15mほどの小さなピラミッドのようです。(真庭市教育委員会提供)
大谷1号墳の石室 現在の定古墳の様子
 大谷1号墳の石室内。表面をきれいに平らに加工した切石積み石室です。床にも平らな石を敷いています。  定東塚・西塚(さだひがしづか・にしづか)古墳。竹やぶの中に、2つの石室の入り口が見えます。
いってみよう
・JR備中高梁駅からバス約30分、「中津井」下車、徒歩10分。中国自動車道北房I.Cから車で約10分。
関連リンク
・古代吉備を探る「終末期古墳を考える」
・子どもホームページ「装飾付大刀」

▲遺跡の表へもどる