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年表

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寒風(さぶかぜ)古窯跡群 瀬戸内市牛窓町寒風

 寒風古窯跡群は、飛鳥時代から奈良時代にかけて、主に須恵器を焼いた窯の跡です。昭和初期に地元の時実黙水(ときざねもくすい)さんの採集により、広くその名が知られ、その後の調査で、窯跡4基・工房跡・古墳が見つかりました。
 この窯跡で焼かれた須恵器は、優れたものが多く、奈良の平城宮跡にも運ばれました。また須恵器をつくる技術は、後の備前焼(びぜんやき)に影響を与えたと言われています。遺跡のとなりにある寒風陶芸会館では、この窯跡群から出土した須恵器が展示してあります。

雪の積もった寒風古窯跡群 展示されている須恵器
 寒風古窯跡群の様子。案内の看板奧に窯跡群があります。(瀬戸内市教育委員会提供)  寒風陶芸会館に展示されている須恵器。焼かれたときにゆがんだものもあります。(瀬戸内市教育委員会提供)
いってみよう
・JR岡山駅から両備バス「小津」バス停下車、徒歩20分、 岡山ブルーライン「邑久IC」から車で7分

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万富東大寺瓦窯(まんとみとうだいじかわらがま)跡 岡山市瀬戸町万富

   奈良の東大寺は大仏で有名ですが、平安時代の終わり<約800年前>に平家(へいけ)によってほとんどの建物が焼かれてしまいました。俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)という僧が、再建費用を集める大勧進職(だいかんじんしき)に任命され、活動を始めました。岡山県東南部の備前国(びぜんのくに)は、その国税を再建費用にあてる造営料国(ぞうえいりょうごく)の一つとされ、重源は備前国でさまざまな活動を行いました。万富東大寺瓦窯跡は東大寺の再建に使用する屋根瓦を大量に生産した窯跡です。
 遺跡は南北方向に延びた丘陵の西側斜面にあって、現在は高さ2mほどの段差をもつ2面の平坦地(へいたんち)になっています。昭和54年と平成13・14年に磁気探査(じきたんさ)と発掘調査(はっくつちょうさ)が行われ、上の平坦地で14基の瓦窯が見つかりました。ほかに、工房(こうぼう)や管理棟(かんりとう)の可能性がある竪穴遺構(たてあないこう)や建物跡なども見つかりました。

遺跡を南西から見た写真 畑の開墾で削られた崖
 遺跡を南西から見た写真です。大寺山と呼ばれる丘の西側にある二段の平坦面(以前は畑だった)が遺跡です。  畑の開墾(かいこん)で削られた崖(がけ)です。むかしはここに瓦窯の切断面がのぞいていたそうです。
瓦窯 東大寺瓦
 発掘調査でみつかった瓦窯です。これは瓦を焼く部屋で、この左側にはまきを焼く部屋がありました。中央にある2本の土手の両側を炎が上がり、瓦を焼き固めます。  焼かれた瓦です。瓦のまん中あたりに「東大寺大佛殿(とうだいじだいぶつでん)」の文字が見えます。
いってみよう
・JR山陽線万富駅下車、北東へ徒歩約10分。山陽自動車道山陽ICから車で約15分。
関連リンク
・古代吉備を探る2「屋根の上から睨みをきかす」

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伊部南大窯(いんべみなみおおがま)跡 備前市伊部

 備前焼(びぜんやき)は今から800年ほど前から現在までつくられている岡山県を代表する焼き物です。伊部南大窯跡は、室町時代の終わりごろから江戸時代にかけて備前焼が焼かれていた窯(かま)の跡で、東側窯跡・中央窯跡・西側窯跡の三基からなります。一番大きな東側窯跡は長さ53.8m、最大幅5.2mもあり、窯の中に仕切りのない窯としては国内最大級の窯跡です。
 伊部南大窯跡では平成17年から備前市教育委員会によって本格的な発掘調査(はっくつちょうさ)が行われています。現在までのところ、東窯跡の中央には40本近くの柱が並んでおり、窯の天井がそれらにより支えられていたこと、窯の側面には焼き物を出し入れする入り口があったこと、江戸時代前半にやや小さな窯につくりかえられていたことなどがわかりました。

北から望む東大窯 東大窯近景
 中央の2本の大きな木の間が東窯跡です。窯跡の両脇には焼くのに失敗した備前焼が積まれています。  近くから東窯跡を見上げると両側にかつての窯のかべがのぞいています。
いってみよう
・JR赤穂線伊部駅下車、南へ徒歩約10分。山陽自動車道和気ICから車で約15分。
関連リンク
・古代吉備を探る2「備前焼のはじまり」

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大成山(おおなるやま)たたら遺跡群 新見市神郷町油野

 大成山(おおなるやま)たたら遺跡群は鉄づくりを行ったところで、明治時代の書類にも書かれています。三室川ダム建設に伴って発掘調査をしたところ、中世から明治時代にわたり鉄をつくったところが7か所見つかりました。
 「たたら」とは、川や山にある砂鉄と炭を高い温度の炉(ろ)に入れてとかし、鉄のかたまりをつくる所のことです。 鉄をつくっていた高殿(たかどの)という建物や、炉は残っていませんが、炉の下に湿気を防ぐためにつくられた床釣り(とこつり)という施設が残されていました。また、 できた鉄をきたえた大鍛冶場(おおかじば)も見つかっています。

高殿たたらの地下部分 大鍛冶場跡
 高殿たたらの地下の様子。中央が炉跡で、左右にあるのが床釣りです。  できた鉄を鍛えた大鍛冶場の跡です。
いってみよう
・現在、大成山たたら遺跡群を見ることはできませんが、三室川ダム管理事務所脇に大鍛冶場が復元されています。また、神郷生涯学習センターには高殿の模型が展示されています。
・三室川ダム管理事務所へはJR伯備線足立駅前車で三室川沿いに進み、約10分。
関連リンク
・古代吉備を探る「たたら」
・古代吉備を探る2「山田方谷とたたら製鉄」

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