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読み物
岡山城のお殿様(おとのさま)
 岡山城は今から400年あまり前に、宇喜多秀家(うきたひでいえ)によって整備されました。天守は1597年に建てられ、黒い色をしていたので、烏城(うじょう)とも呼ばれました。

宇喜多秀家は関ヶ原の戦いに負けて、岡山城には小早川秀秋(こばやかわひであき)が入りました。

小早川秀秋は2年ほどで死んだので、姫路藩主池田氏の2番目の子が岡山城のお殿様になりました。

歴代のお殿様について簡単に説明します。

※名前のあとの( )の中は岡山城のお殿様をしていた期間をあらわしています。
岡山城
岡山城
池田忠継(ただつぐ)(1603〜15)
 姫路藩主池田輝政の二男。お殿様となった時にはまだ子どもだったので、兄の利隆(としたか)がかわりに政治を行いました。利隆が姫路城のお殿様となったので、岡山城に入りましたが、わずか3年で亡くなりました。
池田忠雄(ただかつ)(1615〜32)
 池田輝政の三男。若くして亡くなった兄忠継にかわり、岡山城のお殿様となりました。岡山城を整備して月見櫓(つきみやぐら)などをつくりました。また、干拓(かんたく)工事を行い、新しい田をつくりました。
池田光政(みつまさ)(1632〜72)
 忠雄死後、その子どもが幼かったので、忠雄の兄利隆の子光政が鳥取城から岡山城に入りました。

学問好きのお殿様で、岡山藩の学校や閑谷学校をつくりました。
池田光政の書き初め
池田光政の書初め
池田綱政(つなまさ)(1672〜1714)
 光政の子。岡山藩がお金に苦しむ時に、多くの新しい田をつくってのりきりました。

歌をよんだり絵をかくのが上手で、後楽園をつくったことでも有名です。
後楽園
後楽園
池田継政(つぐまさ)(1714〜52)
 綱政の子。兄政順が死んだため、跡継ぎとなりました。歌を好み絵や字がうまく、特に絵は多くの作品が知られています。
池田宗政(むねまさ)(1752〜64)
 継政の子。頭も顔つきも優れていて、りっぱなお殿様と有名でしたが、若くして亡くなりました。
池田治政(はるまさ)(1764〜94)
 父宗政の急死で、お殿様となりました。意志がつよく信念をもって行動するお殿様でした。字を書くのが上手で、特に太字が得意でした。
池田斉政(なりまさ)(1794〜1829)
 治政の子。幕府にならって岡山藩の政治改革を行いました。
池田斉敏(なりとし)(1829〜42)
 薩摩藩主島津家の子で、斉政の養子となって岡山城のお殿様になりました。期待されていましたが、32歳の若さで亡くなりました。
池田慶政(よしまさ)(1842〜63)

 九州の中津藩主奥平家の子で、斉敏の養子となって、岡山城のお殿様になりました。江戸時代の終わりごろ外国船がやってくる時代で、岡山藩の軍隊の整備をおこないました。

池田茂政(もちまさ)(1863〜68)

 水戸藩主徳川家の子で、慶政の養子となって岡山城のお殿様になりました。江戸幕府が倒れる時のお殿様で、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の弟にあたるため、自分から引退しました。

池田章政(あきまさ)(1868〜71)
 九州の人吉藩主相良氏の子で、岡山藩の親戚の鴨方藩主でしたが、本家を継いで岡山城のお殿様となりました。明治時代になり、岡山藩がなくなると東京へ移住しました。