|

|
|
|
|
|
a.山田方谷記念館;新見市大佐小南 |
|
|
b.方谷庵;新見市大佐小南 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
平成16年に建てられた方谷の偉業を伝える記念館。展示室や研修室、茶室を備え、方谷の足跡をパネルやビデオで紹介している。展示品には「山田方谷先生遺蹟碑」の縮小拓本(高さ5メートル)や、方谷4歳の時の額書、大政奉還上奏文草案の実物や遺墨などが展示されている。 |
 |
|
|
平成16年に建てられた方谷の偉業を伝える記念館。展示室や研修室、茶室を備え、方谷の足跡をパネルやビデオで紹介している。展示品には「山田方谷先生遺蹟碑」の縮小拓本(高さ5メートル)や、方谷4歳の時の額書、大政奉還上奏文草案の実物や遺墨などが展示されている。 |
 |
|
|
|
|
|
|
|
|
c.小阪部塾跡;新見市大佐小阪部 |
|
|
d.明親[]館跡(旧遷喬[]尋常小学校);真庭市鍋屋 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
明治三年(1870)、方谷は小阪部に移り住み塾を開いた。明治十年(1877)、その生涯をこの地で終えることになるが、その間子弟教育に心血を注いだ。塾跡には小阪部方谷園が整備され、方谷の臨終時の枕位置とされる場所には、勝海舟らによる山田方谷顕彰碑が建てられている。
|
![小阪部[おさかべ]塾跡;新見市大佐小阪部写真](other_c.jpg) |
|
|
明治三年(1870)に設立された塾。方谷が名付け、開講時に講義を行った。明親館が前身となり遷喬尋常小学校が開校し、明治四十年(1907)に現在の建物が建築された。ルネサンス風の洋風建築で国の重要文化財に指定されている。内部見学が可能であり、地域の歴史資料なども展示されている。 |
![明親[めいしん]館跡(旧遷喬[せんきょう]尋常小学校);真庭市鍋屋写真](other_d.jpg) |
|
|
|
|
|
|
|
|
e.本源寺[];津山市小田中 |
|
|
f.知本[]館跡;美咲町大戸 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
津山藩主森家の菩提寺。弘化四年(1847)、幕末の混乱した情勢の中、軍制改革と洋式砲術の必要性を感じていた方谷は、三島中洲を伴って津山藩に赴き、藩士天野直人に洋式の大砲及び銃陣について学んだ。その際滞在したのが本源寺で、方谷は本堂で有志に講義も行った。
|
![本源寺[ほんげんじ];津山市小田中写真](other_e.jpg) |
|
|
明治六年(1873)に開かれた塾で、現在は知本館跡の碑が建つ。方谷は閑谷学校からの帰途に赴き「大学」などを講義した。方谷は閑谷学校へ講義に向かう際、新見市大佐から真庭市久世町を経由し、美咲町大戸から吉井川の高瀬舟を利用して閑谷を訪れていたと考えられている。 |
![知本[ちほん]館跡;美咲町大戸写真](other_f.jpg) |
|
|
|
|
|
|
|
|
g.温知[]館跡;美咲町行信 |
|
|
h.閑谷[]学校;備前市閑谷 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
明治七年(1874)、方谷の弟子、矢吹正誠が設立した私塾である。塾名は方谷が命名したと言われ、開講にあたって「論語」を講義した。同館跡地には、美咲町により説明板と石柱が設置されている。 |
![温知[おんち]館跡;美咲町行信写真](other_g.jpg) |
|
|
寛文八年(1668)、備前藩主池田光政が庶民教育を目的に開いた学校で、藩営としては日本最古の学校である。
明治六年(1873)、方谷は岡山藩による要請を受け、閉校になっていた閑谷学校の教壇に立つこととなった。春と秋に陽明学を講義し、明治九年(1876)まで続けられた。
|
![閑谷[しずたに]学校;備前市閑谷写真](other_h.jpg) |
|
|
|
|
|
|