備中地域広域観光振興協議会
高梁川、ここを舞台に鉄の歴史が気づかれた。
岡山県北西部の新見市から備中地域のほぼ中央を南北に流れる高梁川。源流のある新見市では、古くから砂鉄が豊富に産出され、たたら製鉄が盛んに行われていた。この一帯は、中世には「新見庄(にいみのしょう)」と呼ばれる京都東寺の荘園であり、米その他の作物や、漆、蝋、紙などの特産物に加えて、山間で作られる鉄が重要な年貢として京都まで運ばれていた記録が残っている(国宝「東寺百合文書」)。





高梁川を南に下り、高梁市へ。江戸時代に、備中松山藩の元取締役吟味役として藩財政を改革したことで知られる山田方谷は、藩内で採取される砂鉄を利用し、「備中鍬」を開発。その使いやすさから爆発的な人気を博し、全国へと広がった。
備中鍬をはじめとした備中北部で生産された物資は、高梁川や成羽川の水運を利用し、高瀬舟を用いて川下へと運ばれた。その中には、酸化鉄の一種である吹屋のベンガラも含まれていた。その色は美しく、製造が中止された現在は「幻の色」と呼ばれる。
高梁川中流域に広がる総社市は、古代吉備王国の中心部であったことが知られており、日本最古級の製鉄遺跡なども確認されている。また、温羅伝説の舞台ともなった「鬼ノ城」など、古代製法に関連があるとされる史跡も残されている。
高梁川は、備中松山藩の外港となった倉敷市玉島と高瀬通しで結ばれ、昭和初期まで物流の大動脈として機能してきた。そして現在、最先端の製鉄所なども立地する水島コンビナート付近で瀬戸内海へと注いでいる。こうして、鉄の歴史は高梁川流域を舞台にして脈々と受け継がれている。